★小説★「なりすまし」ケースその1あの日以来、妻はまばたきすらせずに、静かに病棟のベッドに横たわったままだ。 床ズレ防止のためにナースが日に何度か顔を出し、ただ重いだけであろうそれの向きを変える。 「今朝は冷えましたね」彼女はいままでの事務的な作業の顔とうって変わって、目を細めながら私を見る。 「なあ、道代。今日はお前が鬼無里に行って、蕎麦作りした記事書いてやったぞ。もう20年も昔の話だがな。でも喜べよ。ブログん中じゃ、お前は年もとってないし、今みたいに白髪もない」私はやや湿り気を帯びてきた道代の背中に、そう話しかけた。 窓の隙間から金木犀の香りが漂ってきている。なりすましケース その1 おわり