もう一つの出雲大社 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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キリスト教に代表されるように、神というものはどうも自分の勢力範囲を広げたいようだ。

これは日本の神々も同じで、三輪(三和、美和などに改名も多い)神やら稲荷様は全国に広がっている。


ところが、出雲大社だけはそうした分社がない。

いや、一ヶ所だけある。
それは茨城県西部の笠間だ。

この笠間はヤマトタケルも寄ったことのある岩瀬の隣町で、日本人唯一のビルボードトップシンガーであった、坂本九にも深い関係のある場所だ。


これは別のところで述べたいと思うが、この地こそヤマタノヲロチ伝説の舞台だとして、水戸光國と土地の翁がやりあった話もある。
水戸光國、つまり水戸黄門は、領地と江戸以外はほとんど出歩いていないが、こうした村人と口論を交わしたりした庶民性が、後の漫遊記を生み出すことになる一因だろう。



岩瀬には、スサノヲの妻の一人でもある、あのヤマタノヲロチから救われた日本版アンドロメダ姫、つまり稲田姫を祀る神社も現存する。


ヤマトタケルは群馬県と長野県境あたりで、「ああ、妻よ」とため息をつき、これが「吾妻」という地名の由来だという記事が古事記(★訂正:古事記では足柄、日本書記の方が群馬の碓井峠。妻恋にも関係ありか?)にある。
この妻とは、筑波の麓、岩瀬あたりで名前を問うた女のことに違いない(補注:船橋で入水した弟橘姫とするのが通説。ただし、翁との会話を考えると心に残っているのは筑波あたりで名を問うた女だろう)。


ヤマタノヲロチ伝説はおそらくエジプト神話やメソポタミア洪水伝説、あるいは東南アジア・ナーガ伝説などと同じく、人間と蛇との関わり、戦いの記憶を言葉にした、自然開拓と農作業の歴史だろう。




常陸出雲大社は、さすがに島根のものにはかなわないが、なかなか見られないようなしめ縄(蛇をかたどったものだろう。縄とは三輪のことであり、三輪とは蛇のことだ) があり一見に値する。




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