ただし、ありがたさが理解できない私のような信仰心に乏しい者には、もったいないなと感じてしまう。
さらに、より幸福を呼ぶために原価千円するかどうかさえあやしい、売値数百万円の絵とかを買うなら、南の国に行きドリアンとアップルマンゴーの日々のがはるかに嬉しい。
しかし、そうしたことに金を出せる余裕があるボランティアの方には、それでもいいのだろう。
ただ、相手の美味い酒肴のために、自らの心血注いだ貯蓄をすべて放出したり、はては借金までするのは、私のような心の狭い人間にはできない。
いや、これら風水に限らず、一部の社会、団体、国も、似たり寄ったりの事象を見ることがある。
例えば、避難生活をおくる何十万人は見えないふりをして、海外の高官だかなんだか知らないが、とにかくわたしたちの税金を、酒肴女、相手の貯蓄、はたまたこちらに鉄砲の玉を向けてくる相手に遠慮なく与えたりすることだ。
はあ。今日はまだ寝ていたいのに、ダメですなあ。
しかし、炊事、洗濯をする力なし。
あと少し、横になっていよう。
が、あまりのんびりもしていられない。
全く、ダメ爺さんはどこまで落ちていくやら。
楽しみです?
なわけないか。
