2012年のあやしい商売と噂を考える。 ★マヤ暦終末説の中身 前編 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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年明け早々ではございますが、やっぱりなのニュースがインターネットなどで話題になっており、一部に金儲けなどに利用しようという動きもあるようです。

大々的には数年前から話題になり、また映画にもなったマヤ暦について考えてみましょう。


その前にまず、暦とは何かについて私の考えを述べ、マヤ暦の話へと移っていく予定です。ただし、私のことですから、急に脇道にそれそのままラビリンスの中で行き倒れになるやも知れません。
いずれにしましても、かなりの長文になりそうです。ご覚悟のほどを。


現在、世界中で一般的に使われている暦はおそらく西暦であり、今日を2012年1月1日とするものであろうと思われます。統計的な裏付けはありませんが、これが一番分かりやすいとして、ここからの話はこの西洋暦を基準に話していきます。例えば、秦始皇帝は紀元前221年に、現在中国と呼ばれている国の東半分くらいを統一した。 そんな風にして話を進めるわけです。


さて、この暦の最小単位は1日ですが、次に週という単位がきます。

1週間は7日でできています。
なぜ7日なのでしょうか?
キリスト教的に考えれば、神がこの世をお造りになったのが6日間あり、1日を休みの日としたということになるのでしょう。キリスト教は、新興宗教としての弱みを克服し多くの民衆を獲得するために、従来の風習をうまく取り入れ、抵抗なく宗徒を獲得するためにも、いろいろな工夫をされたと考えられます。その代表が、オリエントの冬至祭りを聖なるクリスマスとしたことでしょう。

まずい。話がそれました。
週の話に戻ります。
この1週間=7日というのは、けして思いつきにより作られたわけでも、また敬虔なるクリスチャンの方々には申し訳ありませんが、神が6日+1日で世界を創造されたからでもないでしょう。

これは明らかに、はるか昔からの習わしというか、人間の知恵の蓄積が生んだものだと思っています。


日本のように大変明瞭な四季がある地方だと分かりやすいのですが、約365日ごとに同じような季節がやってきて、これをご先祖様は1年としました。
お分かりのように、1年は地球が太陽の周りをおよそ1周する時間です。
ですから、太陽の動きをよく見ていれば、1年を知ることはできますし、日本のような四季が明瞭な地域なら、身近な草花の様子や鳥獣の動きからおよその季節を知ることができます。

しかし、年中太陽が照りつける砂漠地帯などでは、なかなか1年という感覚を身近な風景などから分かることは難しいに違いありません。 そうなりますと、夏になって上流の山々の雪が溶け、それが洪水となって襲ってくる時期も予測が立たなくなり、甚大な災害を引き起こすことになります。
そこで分かってきたのが、月の満ち欠けと1年の関係です。


真っ暗な闇から眉毛のように細長くなった月が真ん丸くなり、また体を細めていき闇に呑まれる。

この繰り返しごとに両手の指を折っていき、すべての指を折り終えたなら、今度は右手、左手と一気に開ける。

この12回の繰り返しをすると、だいたい今回の洪水から次回の洪水までの期間となる。ただし、これだとしばらくするとズレが出てくるので、2、3年おきにもうひとつ月を加える。

こうやって、月の満ち欠けから暦が作れることを発見、発明していきます。
これを大陰暦といい、日本でも、つい最近まで使っていた暦です。

ただし、人の活動が煩雑になってくると、月単位の暦はどうも不便です。そこで、1月を4つに分ける工夫をしました。
どういうことかというと、暗闇から半月まで、半月から満月まで、さらにその満月が半分に欠けるまでと、半月がまた元の闇に食われてしまうまでに分けたわけです。
日本とは違い、曇りや雨というものが年に数回しかない砂漠地帯では、この分割は大変有効でした。
この1月を4つに分けた1区分がおよそ7日。

これが週の生まれた由来でしょう。



片手の指をひとつずつ折っていき、次にもう片方の指を一気に折る。
そして最後に、両手の指をすべて広げ戻す。

この開いた状態が日曜日。休日になるわけです。

これは画期的な、あるいは革命的な労働条件の変化でした。それまでの奴隷は、休みというものを与えられていなかったでしょうから。



少し疲れました。


一旦休憩し、本題のマヤ暦は次回へ。