
私は昔のアイドル派
アイドルという言葉を初めて聞いたのは、シルヴィ・ヴァルタンの『アイドルを探せ』という曲の題名ではなかったかと思う。
ちょうど時を同じくして、喜多嶋舞さんのお母さん、おでこちゃんこと内藤洋子さんが銀幕の世界でみずみずしい姿を見せてくれていた。
内藤さんが結婚したという話は、後の吉田卓郎、南沙織の結婚話同様に、かなりの衝撃だった気もする。
あのおでこちゃんあたりから、日本でアイドルなる言葉が生まれ、やがてキャンディーズでその頂点を迎えたと思っている。
最近はテレビをほとんど観ていないから分からないが、どうも韓国の歌手やら俳優さんがもてはやされているようだ。
当然ながら、これらの流れは中長期戦略に組み込まれた戦術のひとつなのだろう。
流行色というのは、ごく少数の人たちにより2年後の決定がなされ、それに合わせてマスコミも動くシステムができていることは、色彩検定などを受けた方なら基本中の基本として学ぶ事項だ。
同様に、流行させるべきアイドルも、ある程度の準備があるだろう。
およげたい焼き君や団子三兄弟のような特例は除いて、ほとんどの歌やらアイドルやらはベルトコンベアの中の一部品でしかない。よい例がお笑い役者たちだ。あれほど日本中を沸かせたであろうギター侍もルネッサーンスも、今はどうしているのやら。
芸能界で記憶に残るのが、吉川団十郎という歌手だ。
今は確か陶芸家になっていると記憶しているが、もともとぼくとつな東北人の特徴を、東京圏のテレビ界が利用しようとしたようだ。
ただし、芸能界にとっては融通のきかない団十郎は、使いでが悪かった。皆の前でバカになることができなかった。
やがて彼は生まれ故郷に戻って、自分の道を歩き始める。
どこの世界でもそうだろうが、自分を貫く輩は使いにくい。特に芸能界にそれを感じる。
劇団ひとりの件にしても、事実は分からないが、裏方に問題がかなりあるのではないだろうか。
また、そういう品のない笑いや良識、境界を忘れてしまった我々にも問題が多かろう。
アイドルとは、ひょっとしたら英語の意味に近い存在なのかも知れない。