私の宇宙論 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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懇意にしていただいているブロガーさんが、この宇宙のことについて書かれていた。

で、私も少しばかりインフレーションやビッグバン、ならびにゆらぎについての考えを述べてみたくなったのだ。

この説はすでにB社のテスト出版の温情お誘いを受け、昔なら一晩の飲み代に満たない額でかわいい出版(流通はしていない)をしていただき、国際ブックフェアにも出版見本として並べられていたから、あるいはご存知の方もいらっしゃるやも知れない。
いや、あり得ないか。
でっかい幕張の中のちっちゃいブースだったし、だいたい、もともとは美術専門雑誌を扱うところだったしね。



さて、前置きと自慢にならぬ自慢はさておき、早速宇宙に入ろう。


★★★★★★★★★★★
これから話すことは、実際には3次元(時間を入れれば4次元)以上の話なのだが、人間の頭では5次元(時間を入れれば6次元)以上を頭に描ける人は、とんでもない頭脳の持ち主か嘘つきか、あるいは時空間ではない次元(物理では次元といっても縦横高さだけのことではない。また、私には理解できない宗教では、意味不明の次元という言葉を使っているところもある)のことを話しているかに違いないから、普通に考えられる2次元の話で論を進めよう。


さて、今あなたは、金魚鉢の水面になったと考えてください。

いいですか。金魚鉢の“水面”です?水ではありませんよ。
水面そのものです。
では、その水面について考えてみましょう。

水面には厚みがありません。
つまり、水面にあるものは認識していますが、水槽の底のことは分かりません。いや、底どころか水面から0.0000000001ミリメートルでも離れたものは、全く分かりません。つまり、水面のすぐ近くだろうが遠くだろうが、水面そのものに無ければ、見えない、分からない、無いわけです。


つまり、ゴミひとつない水面は、たとえすぐ近くにメダカがいよいが、底にどじょうがいようが、“何もない”と考えます。


はい。これが宇宙の誕生前の姿です。

さて、ここで金魚がうんちをしたとします。
でも、まだ水面という宇宙には“何もない”のです。

ところが、このうんちが水槽の中をプナプカと上がって来て、水面についたとたん、水面にとってはたいへんことになります。
水面が揺らいだのち、それは起こります。

“何もない”ところに、一瞬で何かが現れたのです。

これが水面にとっては、宇宙誕生となります。 もちろん、2次元の水面には、それが金魚のうんちだということなど分かりません。
なぜなら、水面は縦と横しか分からないからです。
だから水面にとっては、突如何もないところに、水面の形を変えてしまう何かができたとしか認識できません。

このうんちは、浮いた地点からほぼ同心円状に広がっていきます。

水面に何かが0から生まれた瞬間がインフレーション。徐々に広がるのがビッグバン。
ですから、誕生に伴うインフレーションの驚きに比べれば、ビッグバンはまだかわいいものでしょう。

このうんちがバラバラになっていき、顕微鏡でないと見えないくらいのゴミになります。

この小さいゴミ1粒が天の川とかアンドロメダ星雲とのような銀河を何十億個か集めた、壁、あるいは風船の皮、さらに壁のもとを作る無数の銀河団です。

ですから、その中にある私たちの銀河などあまりにちっぽけで、世界最高の電子顕微鏡でも見えません。

ましてや、その銀河の中のごくありふれた太陽と呼ばれる星など、理解するのが難しいくらいちっぽけです。
ただし、私たちの太陽はひとつしかない、ちょっと変り者ではありますが。



そのちっぽけな太陽が放つ光が、わずか1秒間に動く距離を、人間は一生かかっても歩けないでしょう。もし、1秒の距離を歩けた人がいたなら、それは世界トップレベルのランナーに違いありますまい。

私はかなり歩いたりすることは好きな方で、体調が優れない時、腰が泣いている時をのぞけば、去年までは1日10キロメートルくらいは歩いていました。
若い時なら、リュック背に30キロメートルということもありました。
ただし、車に乗ってからはかなり動かない日々がありましたが。


ですから、生まれてから今日まで合わせても、まだ光の0.3秒分は歩いていないでしょう。
このあと残された人生のうちに、さらに0.1秒分を歩くことは、まずまず不可能でしょう。



ということで、宇宙はべらぼうに大きいのですが、最初に述べたように、とんでもなく小さくもあるのです。
ええ、最初の宇宙は、ゴマ1粒よりはるかに小さい(数学的にはマイナスの大きさ=人間の頭では具体的に理解不能)ところに、この宇宙のもとのもの(物質ではない)すべてが詰まっていました(詰まるとは物質があることなので、この表現は正しくないが、私には他の表現を知らない)。
こんな状況を理解できたなら、私はそんな人はいないと信じていますが、それこそ天才でしょう。

この話を少し頭をひねって3次元にすれば、ゆらぎだのインフレーションがわかると思われます。

同時に、他の宇宙が存在する可能性を否定できませんが、私たち水面には“見えない”あるいは“無い”のです。




と、あやしい宇宙論でした。

ちなみに、こうした宇宙の最初の方を理解できたという人がいたら、たぶんそれは勘違いでしょう。

光も物質も重力もない世界。すべての何かが凝縮した世界。反物質は分かっても、この状態はそんなままごとレベルの話ではありますまい。

ですから、わかるはずがありません。

ただし、神が宇宙を造られたとすると、話は大きく変わってきますし、アメリカ合衆国のある州では、つい最近まで“神が宇宙を造られた”が正しいことだったので、インフレーションもビッグバンも関係ありませんがね。



ちなみに、アメブロにも深くかかわる神様級の方が唱える宇宙論だと、“宇宙は私が造った”とでもなるのでしょうか。


あらら。
危ない話になりそうですから、これまで。
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