などと、草むしり爺さんが言ったところで仕方がないのは分かっているが、とりあえず書いてみよう。
反発、批判コメント、メールはもちろん覚悟の上である。
ただし、ただの暴言と私が考えたものは、勝手ながら削除させていただくやも知れません。
残念ながら、現在はまだまだ原子力発電は必要性が高い。
だから、当分の間は原子力発電もやむを得ないのかと思っている。
ただし、現在日本で稼働している原発の立地だけを見ても、あまりに問題が多過ぎる。菅元首相の行動は複雑怪奇、非常識が多く、おそらく基本的な考え方は全く違っているが、浜岡原発を止めたことだけは評価したい。ただし、本来なら、そうした指示を出す前に、原発関連で働いている方々の行き先を決めるべきであったろうが。
さらに、もんじゅに至っては、機械には全くの素人である私にさえあまりに危険で、即刻廃炉にすべきだと考えている。
ただし、廃炉にできぬ政治的事情だけでなく、技術的な問題もあるのだろう。化学もよく分からないが、熱伝導体にナトリウムを使うと知ったときには鳥肌が立った。
理論的にナトリウムの利用をしたいのは分かる。が、それは事故が起きない場合である。もっと分かりやすく言えば、金属疲労、劣化、時経変化、熱変化などがないという、あり得ない仮定においてである。
知りもしないくせに、構造についても言いたい。
制御棒はなぜ持ち上げ式が多いの?なぜ原潜型にしないの?
一次冷却水の循環パイプは、負担が多大であることは明らか。
さらに、緊急冷却水投入用部分にも、炉の他の箇所より負荷がかかるのは明らか。 だから、このあたりの再考も必要なのでは?
まったくひどいのが、使用済燃料の一時保管プール。まるで、幼稚園児が戦闘機を操縦しているようです。危なくって見てられない。今回の事故がなかったら、私もあんなずさんな保管をしていることを知りませんでした。使用済とはいえ、何万年、何億年に渡って放射線を出しているのだから、確かに効率もよく経済的にも有利でしょうが、あれはひどい。他のすべての原発であのような保管をしていたなら、地震が多い日本には不適切だと思う。
イオン発電やら中性子発電やらは、まだまだ先の話だろうから、今はここまで日本の生活に密着してしまった原発を一気に無くすことは、あまりに現実味がない。
仮に原子力発電自体を否定してしまうと、今や日本では当たり前になった携帯電話や、海外のテレビニュース、インターネットも使えなくなってしまう。
まあ、ある程度の年になればそれも諦めがつくし、それほどの不便も感じなくなるやも知れない。
が、若者から携帯電話やメールを取ると殺人事件さえ起きかねない。
原子力発電を利用しているのは、単に発電所だけではないからである。
ヨーロッパで原発中止の決定ができたのは、陸続きのお隣の国から、原発由来の電気を買えるという事情もある。
日本でも水力発電などの見直しもあるかも知れない。が、それには時間がかかる。今日、いや来年、再来年には無理な話だ。
太陽光発電に関しては、なんとも分からない。
液晶製造過程での問題、また、その品質、日本の気候、メンテナンス、蓄電の問題など、私にはまだまだ勉強不足で、買い取りシステムなど政治的問題よりも大きな課題が見えてしまい、宇宙空間での使用ならいざ知らず、これについては、分からないというのが現状だ。
なお、原発補償の話になるが、これは政治家のごり押しに期待したい。
頭でっかちの管理は、なかなかあの手続き書類を変えないだろう。まあ、血も涙もなく行うやり方としては正しいのかも知れない。ただ、あまりに心がないものだ。確かに、子ども手当てだかのように、海外に何十人もの養子がいるといったような、不当に金を得る輩もいるだろう。
が、普通のじいちゃん、ばあちゃんに160ページの説明書やら、昔の領収書を出せやらは、おそらく閻魔様でもなさらない。
今回の補償手続き書類は、どういった考えで作られたのかは、ぼんやり分かる気もするが、結果的に頭のいい、悪知恵の働く輩にばかり金が回り、その日の飯さえままならぬ、99.9%以上の本当の被害者にはなかなか回ってこない、末期の生類憐れみの令に似て、悪書として日本の歴史に名を残すことになるだろう。
それを自慢気に話す東電役員の方々は、とてつもなくおおものかウマシカ、あるいはオニ、あるいは病気だろうな。