閻魔様さえ、涙を流す | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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すでにニュースにもなっているが、原発補償手続き書類には、ため息をつかざるを得ない。

被害者でもない私が言うのもなんだが、どうしようもないという言葉がふさわしい。

とびっきりの自然な笑顔が美しい、私がリアル世界でもお会いしたこともあるブロガーさんが、声を大きくして嘆いていらっしゃる。
中身を見なくとも、そのページ数だけでゲップが出てくる。


なんで、こうなってしまったのだろうか。


おそらく作成者は、携帯電話やパソコンの説明書並みの『立派な』手続き書類を作成したに違いあるまい。
幾多のケースを考え、水をも漏らさぬ『素晴らしい』手続き書類なのであろう。

が、大切なことが抜けている。

それは、相手を鑑みる思いやり、気配りだ。


日本は、元来契約社会ではなかった。
これは、自然、歴史、民族が大きく影響している。
契約社会とは、他を信じないことが前提である。言わなくとも分かるだろう、以心伝心は通用しない。

とにかく、自分に被害が及ぶことを可能な限り少なくするのが目的だ。だから、今回の手続き書類にしても、作成者自身には罪はないだろうし、おそらく海外の契約なども手掛けたであろう、あるいは海外の方の意見を参考にした、発行者側にとっては『素晴らしい』できの書類なのに相違ない。


問題は、その使用を決定し、行使する側だ。


東電にも、日本人がいるだろう。

日本人という表現は実に曖昧な言い方だが、被害者の立場になって考えるということだ。


いや、エリート集団では難しいのだろうか。

東電内にも、被害者の方は少なくないであろう。

その人たちは、自社の手続き書類を見て、いかが思われるだろうか。

いやいや、現場や中間管理職などの、いわゆるサラリーマンである東電社員の方々や、手続き書類作成者に矛先を向けてはなるまい。


考えるべきは、こうした手続き書類行使の決定をした、東電の役員諸氏だろう。




役員の方々全員が、今回のような閻魔様でも涙を見せるような書類にすら、笑顔で判を押した方ばかりではないはずだ。

そう、信じたい。


このあたりからの変化を期待したいが、はかない夢に終わるのだろうか。





草木ものいふ国が、また遠のいた。