親熊、子ぐま物語 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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寒さ知らずの親熊、風の子子ぐま。


そうあだ名された方々の話を綴ろう。


親熊の死を知ったのは、まだ私が島ちゃんと呼ばれていた頃。

つまり、南十字星を眺められる、ヤシとマンゴーの国にいる時であった。



“おい、知っているか。親熊が死んだらしいぞ。……”
しばらくの沈黙があった。

“しかし、……”

ゴルフと釣りで、現地人より黒くなった先輩が部屋に入って来た。その顔には、黒の中に朱が混じっていた。

“しかし、……”の後の思いは同じだったろう。


確かに、繊細な方には思えた。

その繊細さを表には出すまいと、必死に豪快な熊を演じているであろうことは、まだ幼稚園に入る前の私にも予想できた。


江戸時代あたりに確立された死の美学を持っているであろうことも、少なからず感じられた。

だから、青猪の会発足の際には、血判状に名を連ねたとも言われた。


先輩にしろ私にしろ、親熊を個人的に知っているわけではないし、そのグループに入っていたわけでもない。

が、いくら繊細とはいえ、自ら首を吊るというのがひっかかった。最初は心筋梗塞ということだったが、すぐにいろんな噂が持ち上がり、それにしても自ら“紐”ということは、いつまで経っても首を傾げざるを得なかったのである。

万が一自らの命を断つにしても、刀ならいざ知らず、ネクタイだか帯だかというが理解できなかった。







その子の子ぐま。
彼は生まれた時から苦労の連続であったろうことは、想像に難くない。
ましてや、因習の残る昭和。その苦しみは、私などの想像をはるかに超えるものであったろう。


その子ぐまも、自ら命を断ったことになっている。


子ぐまは、私のような素人でさえ鳥肌が立つような虎の尾を踏む会見を行ったことがある。
ただし、注意してないと、あるいは天竜川がどんな流れをしているのか知らなければ、聞き流してしまっただろうが。



赤い天竜川の流れの中に、青い細竿を立てようとした男。


子ぐまの中に、そんな男の悲哀を見た。







★追記

わずかこれだけの記事に、30分以上かかってしまいました。

誰か、900秒しばりの解除法をお分かりの方。

助けてたも。





★追々記

この親熊、子ぐまは個人的には全く知らないし、現実の生き方を見たわけでもない。
ただし、外側から見ても常人とは一桁違った苦労をしていたであろうことは、容易に想像できる。


親熊の毛繕いをしていた、でっかいちび熊も結局は不幸な老年を迎えている。

この負の流れがなぜ出来ているのかは、小学生の私などには分からないし、また、知る必要もないだろう。
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