
以前記事にしたことがあるが、パンというと永六輔を思い出す。
新幹線に乗って“パンですか、ライスにしますか?”に、“ご飯にしてくれ”と永ちゃん。
女の子が“はい、ライスですね”
“いや、ご飯だ”
“じゃあ、ライスでしょ”
“ライスなんて気持ち悪いものはいらない。ご飯”
“うちは英語でオーダーしますから”
“はあ?ライスって英語の意味知ってるの?それにパンて英語じゃないよ”
まあ、そんな話だ。
確かにliceはノミ、シラミの複数形、つまりノミ山盛りとなるし、パンはフランス語などラテン系の言葉だから、英語とは違う。
このパンが英語ではないことはさておき、もともと日本語ではないことはなんとなく分かる。
しかし、すっかり日本語になってしまっているものも多い。
一番多いのは中国あたりの言語だろう。
中国普通語(中華人民共和国が、少なくとも自国内は共通語にしたい言葉)では、漢字1字に1音しかない。
例えば日本の日という文字には、ri:(リとジの中間音に近く、日本語にはない発音)という音しかない。
ところが、日本語では、“ひ”“にち”“び”“にっ”“か”“ち”“くさ”など多数の読み方がある。
これは漢字も、現在の中華人民共和国の北の方や南の方など、いろいろな国から伝わったことを暗示している。
こうした現在の中華人民共和国のあるあたりにあった国から来た言葉は、ほとんど日本語音に加工され、今や日本語と区別がつかなくなっている。
また、チョロチョロやガサガサといった擬音語には、朝鮮語の影響を強くうけていると感じる。
さらに、海の魚介類はポリネシア語、神関連語はエジプトあるいはヘブライ語、仏教用語はサンスクリット語と、なかなか変化に富んでいる。
よく知られているように、天ぷらやシャボン玉などはポルトガル語由来だ。
このように、日本人は言葉ひとつとっても、上手く異文化を取り入れ加工してきた。
が、今回ばかりはあまりの違いに、なかなか受け入れられないのだ。