フクシマと書くマスコミの横暴 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

しま爺の平成夜話+野草生活日記

世間を少しばかり斜めから見てしまうしま爺さんの短編小説や随筆集などなど
★写真をクリックすると、解像度アップした画像になります。

マクドナルドで好きなメニューブログネタ:マクドナルドで好きなメニュー 参加中


このネタの前振りでもわかるように、~デス、~マスなどの如く、文末をカタカナにする表現をよく目にするようになってきた。

しかし、~ンカ、~タヨにはいささか驚く。

~デス、~マスに倣うならば、~たヨ、~んカのがよいように感じるが。


まあ、そんなことはさておき、 こうしたカタカナ文末表現には、かわゆさ創出効果と責任回避思考がぼんやりと感じられる。

もちろん、これはそうした表現を使い始めた頃の話であり、このネタを作った方には、全くそんな意識はないだろう。



だから、このネタの出題者には文句を言わないし、言っても意味がない。

ガイガーカウンターで放射線被曝を測れるのだと触れ回っている営業マンに、じゃあそのガイガーカウンターで何線と何線と何線を測って、どうやって被曝量を計算するの?と尋ねるくらい意味のないことだ。

おそらく、ほとんどの営業マンは、デジタル表示される数値の大小と教え込まれた影響、教え込まれた売り文句以外に答えられないだろうからだ。


まあ、オカルトに近い。
いや、私にはオカルトと同じだ。

ただし、現在はガイガーカウンター神話が確立されているし、声高にこんなことを言うと営業妨害とされるから、賢い学者、研究者は三猿を決め込んでいるのだろう。

かいわれ大根事件と同じ構図だ。

あの時も、ノーベル生理学賞やら化学賞を10個くらい受賞できる新理論により、かいわれ大根が病原菌の仲介者とされた。


ガイガーカウンター数値で被曝量、シーベルトを算出することも私にとってはこれと大差なく、ペットボトルで野良猫を避けるという理論の方が、幾千倍か信頼度が高い。



ところで、最近、福島を“フクシマ”とカタカナで表現する場合があるようだ。


こうした表現を考えた方の良識を疑ってしまう。


この発想の根っこには、日本人にはないものを感じてしまう。


穿った見方ではあるが、現在に至る義務教育、マスコミ洗脳を考えると、けして笑えなくなるのである。