
このネタの前振りでもわかるように、~デス、~マスなどの如く、文末をカタカナにする表現をよく目にするようになってきた。
しかし、~ンカ、~タヨにはいささか驚く。
~デス、~マスに倣うならば、~たヨ、~んカのがよいように感じるが。
まあ、そんなことはさておき、 こうしたカタカナ文末表現には、かわゆさ創出効果と責任回避思考がぼんやりと感じられる。
もちろん、これはそうした表現を使い始めた頃の話であり、このネタを作った方には、全くそんな意識はないだろう。
だから、このネタの出題者には文句を言わないし、言っても意味がない。
ガイガーカウンターで放射線被曝を測れるのだと触れ回っている営業マンに、じゃあそのガイガーカウンターで何線と何線と何線を測って、どうやって被曝量を計算するの?と尋ねるくらい意味のないことだ。
おそらく、ほとんどの営業マンは、デジタル表示される数値の大小と教え込まれた影響、教え込まれた売り文句以外に答えられないだろうからだ。
まあ、オカルトに近い。
いや、私にはオカルトと同じだ。
ただし、現在はガイガーカウンター神話が確立されているし、声高にこんなことを言うと営業妨害とされるから、賢い学者、研究者は三猿を決め込んでいるのだろう。
かいわれ大根事件と同じ構図だ。
あの時も、ノーベル生理学賞やら化学賞を10個くらい受賞できる新理論により、かいわれ大根が病原菌の仲介者とされた。
ガイガーカウンター数値で被曝量、シーベルトを算出することも私にとってはこれと大差なく、ペットボトルで野良猫を避けるという理論の方が、幾千倍か信頼度が高い。
ところで、最近、福島を“フクシマ”とカタカナで表現する場合があるようだ。
こうした表現を考えた方の良識を疑ってしまう。
この発想の根っこには、日本人にはないものを感じてしまう。
穿った見方ではあるが、現在に至る義務教育、マスコミ洗脳を考えると、けして笑えなくなるのである。