
私の親戚は、比較的益子付近に多い。
実家から10キロメートルくらいのところにあるこの町は、平成の大合併にまつわる経済的締め付けにも拘らず、独立を守った。
この町は、黒羽藩大関家がらみで発展した町だ。
黒羽藩はなかなかユニークで、日本古来の風習を守りつつも新しいものへのチャレンジと共に、よそ者と言われる人たちにもおおらかな対応をすることでも知られている。
これは、水戸光國や松尾芭蕉などを少し調べればすぐに分かる。
益子と言えば、今や日本より世界での知名度が高いかも知れない。
浜田庄司の友バーナード・リーチによりイギリスから世界へと広められた益子焼きも、大関家が江戸末期に陶器造りを奨励したことに始まる。
江戸末期と述べたが、ほとんど明治維新に近い年代であり、わずか150年くらいの歴史しかない。
つまり、有田や信楽などとは比較にならぬほど新しい焼き物の町なのだ。
ただし、この地域は北関東に有りながら小高い山に挟まれているため、空っ風の影響も少なく、暖地性植物が繁茂する森があるなど、たいへん穏やかな気候だ。
このあたりも、大関家の雰囲気と相まって、他ではなかなかうけ入れられないよそ者も、住みやすい環境になったことに関係するだろう。
現在は、塚本など大規模製造、販売店があるとはいえ、陶器市通りには数百軒の個人店がところ狭しと、思い思いの商品を軒先に並べている。
2つ、3つ石を投げれば、少なくとも1つは芸術家に当たると言っても過言ではないような町だ。
昨日は次男がサイクリングをしたいと言うので、電動自転車を1日レンタルし、実家やら益子の町などを徘徊した。
名前は昔から知ってはいた酒蔵へも、初めて訪れた。
この町はたいへん好きで、海外から帰った後、一時期住もうかとさえ考えた場所だ。
いつ改装されたかは知らないが、道路から歩いて線路に入れる益子の駅は、ずいぶんとモダンになっていた。

しかし、もっと感心させられたのは、その待ち合い室だった。
まるで、ミニ美術館である。



そんな中で、私の目を引いた作品がこれだ。

還暦を過ぎてこの色気。
しとやか掌説ブロガーさん、兼一流突っ込み婆、兼世界を知るナース、兼映画評論家、兼イベリアの花さんの記事と重なった。