
私は絶世の美女派

そりゃ、美女のがいいでしょう。
しかし、美女ってどんな方ですかい。
中国では、ホウジとかダッキとか歴史を動かしたらしい美女の伝説もありますが、日本では楊貴妃あたりのが有名ですよね。

しかし、中国には20世紀、つまりつい最近までてんそくが美女の一要素という、不思議な慣習がありました。
あっ、そうか。
誤解のないように断っておきますが、この中国というのは今の中国ではなくて、今の中国あたりにあった国のことですから、今の中国にここでいう中国の慣習があったわけではないのですが、面倒なので今の中国あたりにあった国をひっくるめて中国という言葉を使わせてもらいます。
ですから、楊貴妃のいた頃の国も、今の中国ではないのですが、今の中国あたりにあった国という意味です。
この頃の中国や古い日本画で見る美女は、かなりふっくら顔であり、先に写真を載せたような美女の絵はむしろ最近の美人のイメージでしょう。
一方、西洋ではミロのヴィーナス時代から、あまり大きな変化はないように思えます。
ルノワールのように、かなり豊満な女性像に美女(正しくは、ヌードの女性の場合は神であるかも知れないが)をあてる場合もありますが、全体的にはあまり贅肉が多くない体形が多いように感じます。

アフリカやインドネシアに見られるような細長い彫刻、油絵で知られるモジリアーニには、時々豊満な女性が描かれています。

しかしながら、いずれの場合も、目にはどこか切れ長なものがあります。

最近の女優さんはさっぱりですが、かつては世界一の美女とも言われたガルボ、カトリーヌ・ドヌーブなどの顔は、昔からの西洋人の美女像とダブります。

美人と感じるのは何が違うのか。
昔、自然人類学かなにかで、目の位置、長さの比率などを学んだ記憶もありますが、話が佳境に入ったあたりで大学では学ぶのが難しい状況になり、今は中途半端な知識が残っているだけです。
そういえば、理系の変人だった私は、美学だのラテン語だの国語表現学だのも受講していましたが、結局仕事で直接役に立ったものはありません。
しかし、仕事を外れた世界ではたいへん役立ったように思います。
美人論は統計学のようなものでしたが、美女像は数学では割り切らない方がいい気がします。
まっ。アバターもえくぼとか、楯突く無視も好きのうち、とか言いますし。