毎日のようにお邪魔虫しているあるブロガーさんが、コーヒー豆の記事を書かれていた。
で、苦い想い出が蘇ってきた。
どこまで書いていいのか分からないから、かなり曖昧な表現にしょう。
当時私は、まあそれなりのルートに乗っていて、30歳前にして、形の上では800人くらいのワーカーを見ていた。
生活レベルは、今とは比較にならない。
当時の1週間の小遣いと、今の1年分の小遣いが同じくらいのものだ。
アマさん(メイドさん)が、洗濯、掃除をしてくれたから、部屋には髪の毛一本落ちていない。今のゴミ小屋とは雲泥の差である。
安全の問題もあり、通勤には運転手もいた。
今や、まさに自転車創業、いや、それさえ赤信号が灯っていて、明日の飯をも心配する始末。
これは私のアホさからくるから、嘆いても仕方がない。
で、私は結構温厚な方だと思っていたが、それでも“ぶった切ったろか!”と思うことがあった。
ただ、そう思ったのは、会社を辞めてから1年後ではあるが。
さて、そこに辞表を出してから、何度か書き直しをさせられ、また、日本へ呼び戻され、私が第4のオヤジと思っているNo.2からの話やらなんやらいろいろあったが、とにかく辞表提出後、半年後に会社を後にした。
その前後、日本人では初めてなんとか勲章をもらった、“恥ずかしながら日本に戻って参りました”の紀州出身の元帝国軍人牧場主の隣にあるコーヒー園(勤めていた会社が開発、経営)に行く話があった。
興味がなかったと言ったなら嘘になる。
が、私の人生美学が許さなかった。
そのコーヒー園の豆はもらった記憶があるが、それを飲んだ記憶が飛んでいる。
食い意地がはった私には、極めて珍しいことだ。
と、苦い想い出ではある。
が、今よりは甘いかも知れない。