
私はない!派
私にしては珍しく、今日は2時間くらいテレビを観た。
まずは大河ドラマとかいうやつ。
続いて、3世紀の日本らしい記述のある三國志の一部。通称『魏志倭人伝』と呼ばれているものに関する、大和と北九州での発掘ドキュメンタリーみたい番組であった。
確かに魏志には“卑弥呼”なる、倭人を小馬鹿にした当て字の人物が出てくる。
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続きはwebで…見たことある?
・ある!
・ない!

話は、大和で発見される銅鐸が、なぜ人的破壊をされたものかの考察に移る。

どうもそれは、弥生式土器時代の神の力を否定されたためだろう、という結論になった。
当時の気候を年輪から調べると、3世紀初頭まで、洪水、旱魃に襲われたが、それを招いた弥生の神が否定され、新たに鬼道で民衆を惑わす(=統制する)女性が神になった(初めの写真2行目右下)というのであり、一大宗教改革が行われたというのである。
番組には昔ながらの邪馬台国大和組と北九州組に分かれて、各自の発掘の様子を追う。
双方とも、魏から贈られた百枚の銅鏡のありかに血道を上げているような解説があったが、もし本当に学者たちが魏の銅鏡の存在=邪馬台国の証拠と考えているなら、これはお笑いである。

例えば、卑弥呼に贈ったという金印に似た奴国王(本物ならばだが★10万円金貨の真偽を鑑定できないように、金製品の模造を見分けることは難しい。また、当時の漢の慣例から考え、造形・材質にやや疑問がある)とは違うが、志賀島で発見された金印があるから、志賀島を邪馬台国だという人はほとんどいないし、志賀島自体当時は海中にあった可能性が高く、奴国かどうかさえもあやしい。

金印はなんらかの理由(例えば敵に渡るのを防ぐため)により、やっと海に顔を出していた志賀島に埋められたと考えている人が多いからだろう。
ならば同じ考えで、仮に魏の銅鏡が大量に発見されたとしても、それが邪馬台国の証拠にはならないのではないだろうか。
銅鏡などの当時最新技術を使った貴重品は、戦利品として勝者が略奪して当たり前ではないだろうか。
あるいは、志賀島同様、敵の手に渡るのを嫌い、全く関係のない山中に埋めたとしてもおかしくないだろう。
面白かったのが、大和で発見された桃の種の推論だ。
番組では、中国の道教の祭に桃が使われることを紹介し、卑弥呼の鬼道=道教のような説明をしていた。
待ってくださいよ。
桃を祭るのは道教だけですかい?
ヒンドゥーでも祭られ、あるいは、旧約のリンゴと訳されているものも、実はブラムや桃の仲間なのでは?
だいたい、桃というのは、女性の象徴でも、薬の象徴でもありましょうよ。
また、桃の種がたくさん出ても、祭に関係ないかも知れませんよ。
例えば、この桃。

番組を観た人ならお分かりと思いますが、かなり原始的な桃の仲間です。
これを硬い実の内に発酵(日本の場合は法に触れるので、焼酎などに漬けて発酵はさせませんが)させますと、大変おいしい果実酒が出来上がります。

それを飲みながらこの記事を書いています。
で、この果肉部分がまた美味しく、品がないのですが、ガリガリとかじりますと、番組で紹介されたような種が残ります。

3リットルの酒で、あの小ぶりの桃を100個くらい使いましたから、2000個の種が出てきたという話から、私なんかは醸造所か酒盛り場をイメージしてしまいました。
いけませんかねえ。
