
以前に説明しましたが、マ行の言葉とバ行の言葉は、世界中で相互変換が見られる音です。
日本語を見てみましょう。
寒い(さむい、さぶい)
寂しい(さみしい、さびし
い)
きびだんご→きみだんご
赤目→あかんべ→あっかんべー
ママ→ババ
あっ、最後のは日本語とは少し違うかな。
これについては、漢音、呉音などと言う学術的な話は置いておきます。
言葉は、方程式で解けるようなものではありませんから。
さて、日本語というものはたぶん、モンゴル語やトルコ語などに代表されるアルタイ語と呼ばれるものが背骨でしょう。
それに南洋の言葉や中国、インドあたりの言葉、さらに兄弟かいとこの半島言葉などの肉がついたものです。
アルタイ語ははるか昔、現在の中華人民共和国の 西北あたりを中心に話されていた言葉と考えられます。
さらにもっと古くは、メソポタミアあたりに住んでいた人たちの言葉ではあるまいか、というのが私の推測です。
およそ1万年くらい前に、ある程度の文化を築いていたであろう彼らは、シュメール人と呼ばれています。
シュメール語は、造りが日本語にたいへんよく似ています。
その後数千年後には、彼らは突如歴史から消えてしまいました。
ただ、彼らの発明した楔形文字は、のちにこの地を制服したアッシリア人、バビロニア人たちに引き継がれ、有名なハンムラビ法典などを記す文字になります。
(義務教育では、バビロニア人が楔形文字を発明したように教えられている)
また、シュメール語で書かれた神話が、やがてヘブライ人たちに伝わり編集して、キリスト教の方々が旧約と呼ぶ聖書(ユダヤ教では旧という見方はしない)を生み出すことになったのでしょう。
ですから、聖書に記されているノアの方舟の着いた先が、シナイ山などイスラエルに近いところではなく、アッシリア人たちの聖山、アララト山になったのでしょうね。
冷静に考えれば、ノアの洪水の話を、穏やかな洪水をするナイルや、砂漠の中を流れるヨルダン川やシリア付近に求めるには、かなり無理があることが分かります。
メソポタミアには、数千年前、洪水で埋もれてしまった古代都市があることも知られています。