大晦日(おおつごもり)とはなんぞや | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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ここのところヘブル語のだじゃれ話なんぞをしていますから、最近このブログを見られた方は、うん?怪しい宗教がらみかな?なんて感じたりされているかも知れませんね。

いやあ、残念ながら、私はまだまだ信仰心が薄く、なんらかの宗教に入れるほど素直ではありませんし、その能力もありません。


敢えて言うなら、どんな宗教にも興味は湧きますが、罰あたりなことに信仰心からではなく、好奇心のようなものです。


そんな中で、大変興味を持って見ているのが、ユダヤ教、及びその息子であるキリスト教とイスラム教の聖書である、日本では旧約聖書と呼ばれることが多い話とギリシャ神話です。

旧約聖書(以下、これに統一)は、日本の風習を知る上で大変参考になります。
一方、ギリシャ神話は、日本神話の下書きとして見ると、これまた大変面白く読めます。
法隆寺などにもギリシャの影響が見られますから、日本神話とギリシャ神話を結びつけるのは、それほどに奇異ではありませんし、さらにさかのぼってエジプト神話にも、日本神話との共通項をたくさん見いだせます(ギリシャ神話は、おそらくエジプト神話からの引用でしょう)。


ところで、きょうは大晦日。
古くは“おおつごもり”と言いました。

つまり、家などに籠もる日なわけです。

この新年前の籠もる行事に関しては、旧約聖書に面白い記載があります。


新しい年が始まる前日には、まず家に赤い羊の血を塗り、家族全員がこの中に集わなくてはなりません。
これは、神社などの鳥居や建物自体が赤いこと、大晦日には遠くに住んでいた家族も家に帰ることに似ています。また、ユダヤ教の祭壇は鳥居に大変似ているだけでなく、日本の神もユダヤの神も、祭壇に形が見えるもの(例えば仏教の仏像など)を置かないという点で似ています。


さらに、旧約聖書では大晦日には、膨らませないパンを食べることが義務付けられています。
膨らませない硬いパン。これはお餅を連想させます。

また、苦菜を食べなくてはなりません。
これは、七草粥の風習に似ます。

旧約聖書では特に、正月1日と7日及びその倍数が重要であることも、日本の正月に似ます。
私が子どもの頃までは、学校は正月7日まで冬休みでした。

また、正月14日のあと、正月飾りなどを焼くどんと祭などが、旧約聖書の掟に似ているのです。

旧約聖書では、大晦日の食べ物などは、翌日まで持ち越してはなりません。
すべて焼き尽くす必要があります。



イスラ・エル(神と戦う)の民は、正月にはこの風習を子々孫々まで必ず伝えることとあるのです。



どうですか。

なんか似ていませんか。


ユダヤ教では、この新年の祭を過越祭と言います。
これは、家族全員が赤い色の家の中に籠もって、荒らぶる神が通り過ぎるのを待つからです。

その理由は、キリスト教の方ならよくご存知ですよね。
エジプトからの、つまり、奴隷生活からの脱出です。

だから、大晦日から正月にはすぐ食べられる(あるいは逃げ出すときに面倒でないように、または腹が長持ちするように)餅のようなものを食べ、奴隷生活の苦味を忘れないように苦菜(七草粥)を食べるわけです。

この硬パンは、餅に似た音でマッツァと呼ばれます。


ちなみに、正月は“むつき”です。
“むつき”のムとは、ヘブル語のマァ(苦い、激しい、苦しみ→ヘブル語にはムの発音がなく、マァはムにほとんど同じ?)に近い音です。


さらに、日本語の“祭”に似たミツリと言う言葉があります。

これは、エジプトと言うヘブル語です。


祭に使われる神輿は、エジプトからの脱出を成功させたモーゼ(マシャまたはムシャ)の十戒を納めた聖櫃そのもののと言ってもよいくらい似ていますし、ギオンはシオン(神の約束の地)にも似ていますね。



その他にもたくさん、古くから日本にあったと思われる風習に似た旧約の記事がありますが、今回は割愛します。






では。

よい、お正月を。