勘とはなんぞや | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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子どもの頃は、勘が鋭いとよく言われた。

確かに、今思えば、だいたいの予想が当たっていた気がする。

テレパシーなどは未だ信じられないが、相手が言葉に出す前に、次に何を言うかを予想できたこともある。

が、二十歳くらいで、この能力はきれいさっぱり消えてしまった。
田舎者が麗しきお嬢様を見ているうちに、純粋な、あるいは動物的な能力が失われてしまったからだろう。

私は小さなときは、政治とか宗教とかが大嫌いだったが、不思議なことに総理大臣になるだろう人は、ほとんどすべて当たっていた。


少なくとも、善行さんの前までは。


彼以降は、総理大臣の重さが違ってしまったせいか、勘も働かせていない。



しかし、不思議だ。
小学生あたりで、すでに三木、大平、福田、中曽根などの名前と顔を知っていて、その十年後、二十年後には総理になっている。



あの頃の能力があれば、私はへたな占い師よりは、予想があたる人間になっていたろう。



この能力は、時々思い出したようにブログにする地震予測とは、全く異なる。

地震の場合は、観察に基づいた予想、つまり純粋な勘ではなく、予想というよりは予測であるからだ。





もっとも、多くの場合、勘というのも、そのベースには、経験などに基づく観察があるのだが、それはその勘を働かせた本人自身も意識していないから、勘と誤解してしまうのだろう。




一流の占い師とは、観察や経験などを元に、膨大・綿密なデータを組み合わせたうえで、うまく表現できうる能力のある人をいう。


ただし、最近は、コンピュータをうまく使いこなせる心理学の達人をも言うようになってきている。


さらに、アメブロなどに代表されるブログの普及で、コンピュータに精通はしていなくても、上手い演技ができる人もまた、占い師とか、勘が鋭いことになることになる。













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