今の時代、いや、卑弥呼の時代から、情報は最大の武器だった。
高校までの歴史では触れることのない、大化の改新と呼ばれる後の天平時代到来の経緯についても、情報がいかに重要であるかがわかる。
独裁的な国家などでは、厳しい情報規制を行い、市民は窮屈な日々を送っていたことだろう。
あるいは、語弊がある表現やも知れないが、スパイ国家の風を呈し、隣人の目を気にしながらの生活をしていたやも知れない。
これは、江戸時代の五人組のようなものとは、また性質のことなる、冷え冷えとしたものだ。
日本という国はよく言われるように、海という自然城壁に守られ、かつ、お上の指示を守ることが、自分を、家族を守ることだった。
この時代にも当然ながら、情報の規制や交換が重要であった。
だから、お庭番がいたし、岡っぴきがいたわけである。
また、江戸幕府が消える一要因となった“ええじゃないか”と、その引き金であるお伊勢様の札もまた、情報という武器のなせる技であろう。
竜馬が話題になっているが、彼などもまた、情報武器の一枝であったろう。
竜馬→グラバー→上海→大きな組織、と繋げることも可能だ。 また、それを扱った書籍もあったやに思う。
今なぜ、竜馬か。
たとえ事実であろうがなかろうが、なぜバチカンが頭を下げたのか。
どうして、ダ・ヴィンチ・コードが、世界中でヒットしたのか。
妄想爺のアホな物語が駆け巡る。
とにかく、今の政府を動かしているものは、情報の流し方がうまい。
規制と感じさせずに、統制をしている。
敵ながらあっぱれだ。
あっ。敵という表現は、言葉のあやですからね。
別に、闘うぜ。
という感覚とは、また違いますから。
と、言い訳しておこう。
私は、日本が好きなだけです。
それ以上でも、それ以下でもありません。