これは、あるブロガーさんはよく知っていることですが、日本の常識では「えっ!」と思われるような方が名刺を配ったりします。
配るという表現は、芳しいものではありませんね。
より分かり易くは、国のために動いた人や、優秀な学業などを修めた人、あるいは善意を、俗世ではたいへん力を持つ、見える形で表現した人などが、その証明として得られるものです。
これは、それなりな効力があると考えられます。
名刺とは言っても、ハガキより大きく山吹色の光輝くものだったりします。
なんかの機会に、あるひね者が、来日されたその方の化粧具合が分かる距離で、2、3時間お話を聞きいたことがありました。
最後に、心のうちを現せば、人・場所によっては喉から手が出るほどの、そのキンキラキンの名刺をいただけました。
が、その頃あたりから視線が曲がり出した男は、せっかくのチャンスを自ら逃します。
いやなものを感じたからです。
しかし、あるブロガーさんもおっしゃる通り、記念にでも手に入れておくべきでしたね。
そのわずか数時間、日比谷のレンガ造りの館の何階だかにあるベビーシッター室に、今は太い声になった子どもを預けました。
いやあ、驚いた。
ケアーの素晴らしさ。
領収書の数字。
うん。
名刺1枚くらいはいただけましたな。
って、そういう問題ではなかったのですが。
その頃は輝いていらっしゃいましたね。
声も、素晴らしいものでした。
ただ、当時から既に、昨年のようなこと、そして遠からぬ日々のことは、陰では話されていましたが。
で、何を言いたかったんだっけ。
そうさね。
昔記事にしたことがありますが、田舎で、きったない婆ちゃんだなあと思っていた、この人大丈夫?みたいな方が、意外に本物だったりする。
あるいは逆に、とんでもないはったりだったりします。
ただ、観る人が見ると、はったりは直ぐに分かると思います。
ただ、本物は、私が長らく分からなかったように、なかなか見分けにくいのでしょうね。
いや、私の視力が弱いだけか?
そういや、私の場合、自分で自分の名刺を作らねばならぬ日も近いか?
仮にそうなったとしても、キンキラキンはいやですなあ。
肩書きは何としよう。
・占いを信じない占い師
・いろは歌師範
とでもするかい。
いやいや、今はいろは歌を作れる、能力も体力もないだろうなあ。
以前なら、1日1歌くらいできたが、今だとひとつ作るのに、1年くらいかかりそうな気がします。
ダメだこりゃ。