季節の変わり目には、学校や職場では、衣替えなどをします。
これはよくあることです。
あるいは、普通にあることとも言ったりします。
しかし、別に衣替えをしなかったからと言って、普通ではない、ましてや異常だなどと言ったりは、《普通は》しないと思われます。
が、そのような解釈をしてしまう(実際には解釈をしていなくても、そうした論理を進める)ことが普通である場合があるようです。
また、こんなことも《普通》である場合があるようです。
すべての差別を嫌うと言いながら、自分ではとんでもない差別を普通にしていることに気付かない。
あるいは、気付かないふりをする。または、無視する(まさか、自分で理解していないということはないでしょうが。万が一そうなら、レ・ミゼラブルもの)。
まあ、よくあることなのでしょうね。
そうしたことが《普通》なわけでしょうから。
ひね爺のふりをした私には、そうしたことを目にすると馬鹿馬鹿しさより、悲しく、また憐れに見えてしまいます。
多分、これは普通ではないのでしょうな。