おーれが、生まれたところは栃木県 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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栃木県は佐賀県と並んで、日本で最もイメージの薄い県の一つだ。


最近でこそ、宇都宮餃子や“とちおとめ”などのイチゴでも知られるようになったが、少し前までは、日光東照宮を除き、まず知られていなかった。
いや、その日光東照宮でさえ、栃木県と結びつけてイメージする人は少なかったろう。



なぜだろうか?

それは、この県の豊かさにある。

えっ?と思われる方も多いだろう。 とくに、そこに住んでいる人たちはそうである。

なぜなら、何にもないからだ。

ただ、田んぼと畑、山あり、川が流れているだけ。
都市らしい都市もない。
県庁所在地のある宇都宮市でさえ、人口せいぜい50万人。東京近郊なら、よくある街だろう。しかも、宇都宮市は面積も広いから、人口に比して田舎町なのである。栃木県で二番目の人口をもつ小山市に至っては、20万人を切る。


つまり、大都市らしいものがない、田舎県なのだ。



ただ、この県は素晴らしく自然の恵みを受けている。
それ故に、これといった産業も発達せずにきたから、日本でも屈指の“知られざる県”になったのである。



では、その自然の恵みとは何であろうか。



それは、一言で言えば、自然災害が極めて少ないということである。



内陸の海無し県なので、台風の大きな被害に遭うことは、滅多にない。

地震被害も、たいへん少ない。

水害、旱魃、冷害……。

もちろんあるが、他県のそれと比べたなら、ほとんど無いに等しい。


だから、そうした災害に備える必要もない。



災害が多発する場所では、かつて日本を支えていた産業である農業を、なかなか落ち着いて続けられない。
その為、米や麦を育てること以外に仕事を持ち、それで家族を養っていく必要に迫られる。



こうして、その地域独特の産業が発達してくる。

やがてこれら産業、特産物は、その地域を代表するものへ、その地域をイメージさせるものへと変わっていく。





このような考えで、もう一度栃木県を見てみよう。



かつて、壬生あたりで日本一の生産を誇っていた“かんぴょう”。
寿司屋には必須アイテムだ。が、たいへんマイナーな存在だ。
栃木県に関係のある人以外で、このことを知っている人は少ない。


日光東照宮。
栃木県人にとっては、世界に誇る遺産だが、残念ながら、日光と栃木県を直接結びつけることもまた、少ないだろう。
益子焼きも同様である。

栃木県に住んでいるから、栃木県は北関東の真ん中に位置する、北は那須・塩原、西は日光・足尾、南に鬼怒川・思川の作った平野、東に八溝というイメージが湧くが、西日本の人たち、あるいはゆとり教育を受けた人たちには、栃木県とは、関東あたりのどこか、程度である。

いや、場合によっては、東北地方や中部地方、とさえ考えられていることもある。

しかし、これを笑ってはいけない。

というのは、よくサッカーで名前が挙がる、オランダやパラグアイの位置を世界地図で指し示すことができるだろうか?

それができる人は、あまりいないのではないだろうか。


現在、栃木県には多くのブラジル系の方が住んでいる。が、この、世界でも、広さも人口も十指に入る国の位置さえあやしいのではないだろうか。

今高校生くらいの人たちが老人になる頃には、ここが世界一の人口と産業を持つ可能性もある。しっかり、確認しておこう。




話を戻そう。

人は、自分に直接関係がない地名などは、当然興味が薄れていく。その地域のイメージが薄くなっていく。



栃木県には、特産物や特筆すべき産業がない。だから、パッとくるイメージがなくなるのだ。





が、繰り返して言うが、これは栃木県に災害 が少なく、豊かな自然に恵まれていたことによるものなのだ。






イメージが湧かない県。

けして、悲観することはない。

むしろ、自慢すべきであろう。