はい。
あるブロガーさんとは、一昨日まで金星旅行をされていたangoさんだということは、多くの方がお分かりでしょう。
で、私ははるか昔に旅行した木星の記事でも書こうかと思います。
はい。その通り。真似っこですな。
さて、私が初めて木星を訪れたのは、やっと木星旅行が一般人にも許可された頃です。
ご存知のように、木星は太陽系で一番大きな惑星。
しかし、大赤斑で知られているように、表向きはボーッとしていますが、実は凄まじい気候の星です。
私たちが厚い硫酸の雲を降りて、外からは伺い知れぬ木星の地上に降りたった時は、たまたまオリオン腕局長が木星を訪れるのと時が同じだったため、私たちも木星に一つしかないダイアモンドステアーズの上を歩くことが出来ました。
ちなみに、オリオン腕局長の宇宙船は、万が一に備えて、また、暗殺に備えて二船用意されており、局長のアンドロイドも、2、3体いましたなあ。
木星は強い重力のため、木星人は皆、地べたを這うようにしてカーキ色やモスグリーンの衣服に身を包んで生活しています。
が、もちろん、ここにも例外はあります。
地球人歓迎施設などは、1日あたり木星人の1ヶ月分の宿代を必要とします。
が、そこには地球人にとっては気色悪い怪獣にしか思えない魔臼なる動物(木星人には貴重な食糧との説あり。確かに、私は一度、木星地元民の集う店で、料理する直前のそれを見たことがある)は出ないし、夜の気温が273K以下になることは滅多にない。
つまり、木星人にとっては、夢のような住まいではあるのです。
また、年に2、3度は、それこそ彼らの遊交費の数年分近くなるだろうが、花見の会も行われていました。
これはすごい。
なんだかんだと言っても、地球人の何十倍もの人が住んでいるから、そりゃ、目が点になるような木星人もいるわけだ。
当時の木星は、すもももももももものうち理論を実践する惑星でした。
しかしながら、すももとももの間には、限りなく高い壁がありました。
すももは6畳間に4人が雑魚寝するような生活であり、夜ともなれば老人たちは若者に遠慮して、長い夕涼みをしなければならなかったのです。
が、ももでも名桃と言われる者たちは、屋敷の中を移動するのには陸上移動車が必要であり、特に南にある木星No.2(のちに大きくなり過ぎて伐採されてしまう)の桃の館は、入り口から主家まで一里、屋敷には色とりどりの花桃が植えられ、それら桃の木一本、一本に小学校のような館が建てられていましたなあ。
1部屋に1個しかない男子トイレでは、スカッシュくらいは十分にできたろうね。
が、その後、かなり滞在が長引き、当時の木星法を破って木星人すもも住居を訪ねるうちに、貴重な体験することになるんですわ。
やはり、木星法違反ですが、地球酒をぶらさげすもも館の中で歓談するうちに、いつしか私地球人の代表のようになっていたのですよ。
木星人の曰く。
あなたたちが、私たちの星を開発という名で汚した。
私の祖父を、私の伯母をなきものにした。
あなたたち地球人は、悪魔だ。
そんなあなたたちを、私は死ぬまで許さない。
まあ、こんな感じで、地球人の諸悪を全て背負わされたのですなあ。
いつも仲良く昼飯を食い、時にバカ話に花を咲かせていた私と彼ら。
全てがそうだとは言わないですよ、もちろん。
でもね、私はこの時初めて、自分が地球人である、という自覚を持ったのでしたなあ。
木星から見たなら、地球などゴミ粒でしかないでしょう。
しかし、青く光る海と太陽の光が地上に届く星は、やはり羨ましくもあるのでしょうかね。
木星は、今なお厚い硫酸の雲に覆われ、その姿は地球のどんなに分解能のある望遠鏡でも伺い知ることはできないのです。
はい。残念ながら。
しかし、深いですぞ。
流石に、太陽系一の惑星ですね。