翁もすなるといふブログといふものを書きつるに如何せんわがことをば書かずしてもつぱら世のあはれなるを嘆きたるになりつるをあらまほしからずとてけふよりへろへらひい日記とぞ名をつけ日々のあれこれおもひなどを書きかむとおもひたちさふらふ
へろへらひい日記なるにしたるは特にこれなむことわりはあらずしてただただ身とよわいのかかる音に似たれるが故なり
いざ書かむ
きのふはあさぼらけまでくらうどところに居り日の高くなりいく前のでんしやに乗りて下れるを身のへろへらひいなるに頭ばかり冴へまた日昇りていと暑うなりたればやういに居眠るあたはず
かばかりあるほどにこの如月さる故ありていへを出でたる太郎よりでんわありき
難しきやうごのおほけれどつまりはでんわのこしゃうにて新しきをかふや保険にて修理するやの問ひ合わせなり
修理あたはずとなり新しきものに交換することになりせしが流石に保険のかうやうや
君死にたまふなかれと歌に歌ひし女御の一枚にて少しくやつかひな手続きをばして新しきと交換となむなりける
太郎のくらふ我の若きの数倍にてかかることどもありつるたびにああ我はわろき親にさふらはむとぞ思ひつるなり
昔檀一雄なる無頼派てむ称しられけるもの書きの親はありても子は育つなる一文にあなひじゃうなる言葉やと思ひしが今我もまたかかる言葉に似たるを感ずれば人の世のあやしおかしあはれなどなど改めて考へさせられける三日月夜かな