
下総の国、葛西の郷に、ひねたること喩えあたはざる翁の住みける。
翁の言ふやふ。
愛づらしくまほしき芋などの植ゑんと穴堀りたるに、つとめて穴のふさがりたるは、なんじゃうやある。
かばかりのことさる日ばかりならざりければ、如何せん。さあるははたしてわろき神の所業にこそあらめとて、ひねもす、夜もすがら見張りたるに、疲れたにやあらむ。つとめて半時ばかり眠りたりけり。
くわつと眼を開けたる時は、さてさて摩訶不思議なり。またも穴のふさがりて、元の木阿弥にぞなりにける。
翁、ひとかうわんし、堀りたる穴に、油揚げ、ぶしまぶせし枕絵を入れ、その夜は番するもなく居眠にけり。
つとめて。
長さ五尺三寸ばかりなる芋食ひの、枕絵を盗まんと脇に付けたるぶしにあたりて、横たわりける。
油揚げの一口をも食らひたる跡はなし。
さかりつひたるをとこをみなのかかるいたづらのたぐひ、げにかなしくあからさまなるかな、となむ語り言ひ伝へける。
かかるは作れる話なれど、朝の穴堀りて、ゆふべには塞がりたること、世の常なるらし。
このひね爺の、ものかたち作れるを楽しみなるに、かかるとらうのことどもはげにあはれにて、今もあるらし、とぞ聞き侍りける。
しゃぎゃうむじゃうの世なれど、げにあじきなし。
人は、なせる作れるを見て楽しきこころなどあらはるるを、夜に日に作れるものの消へゆくはかなしきことにこそ。
言はんや、花の咲くを初めよりなきと知るをや。
また、かかるかぎゃうにありて限りある水を使ひて萎れるをや。
よわひ積めばさらなり。