
メールにしても電話にしても、言葉という道具を使ってのやりとりです。
が、メールというのは視覚化し、何度も読み返しができます。
これは本も同様ですが、一度読んだものを後で読み返してみると、また別の捉え方ができたりします。
だからメールが良いかというと、そうでもあるまい。
というのが、私の考えです。
確かに電話の声は、レコードでもしない限り残りません。
まあ、普通の状態で一般的には、電話記録を残したりはしないでしょう。
(会社の情報管理関連や、自動記録されたりする場合を除く)
つまり、電話は刹那的であり、また、時に聞こえ辛く、大きな勘違いなどを呼ぶ可能性を持っています。
じゃあ、やっぱりメールだろう、とはなりません。
たぶん、多くの方が、肉筆の手紙に、印刷されたものよりもより温かみや癒しを感じるように、直接音でのやりとりには、目から入るものより、一層心に触れる場合が多いと感じます。
ただ、こうした考え方は古いのかも知れません。
アメリカなどでは、タイプされた文字により価値を見いだすこともある。
そうしたケースが多いでしょう。
ただし、これは英語が分からないアメリカ人が結構いることも関係しているのかな?などと、勝手、独断的な考えてしてしまう私です。
どうもまとまりがなくなりましたが、肉声には、文字だけでは分からないたくさんの情報(こうした表現は硬いですね)が含まれています。
もちろん、言葉と言葉の間の無言の時間にも。
そうそう、話が戻ってしまいますが、タイプ好きなアメリカの方なども、最後のサインなどは自筆です。
だから、やっぱり、肉筆、肉声に重きを置いているのかなあ?
と、考えたりもするのです。
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