だから、昔の人は個人名を出さずに、一の上とか、紫式部とか言うように、あだ名のようなものを用いていた。
この傾向は、今の言葉にも受け継がれている。
最もよく使われているのが“ありがとう”だろう。
ありがとうとは、有り難しの変化した言葉だ。
有り難し→有ることが困難だ→滅多にない→感謝しようとなって、“ありがとう”は、相手の行為などに対する謝辞を意味する言葉となった。
つまりは、本来の意味とは遠く離れ、あるいは正反対の意味になったわけだ。
ところで、記事題名の“安多来”だが、これは私の造語である。
今、外務省が四六時中監視しているであろう(いや、外務省が昼夜監視体制を引いているのは、別に今に限ったことではないだろうが)ある国でよく使われる言葉を、私なりに音訳したものである。
なお、これは“安らかなものが多く来る”と言う意味ではない。
安は、ヤスではなくアンと読む。
比較的、ありがとうに近い構造の造語である。
これは、発音がかなり元言語音に近く、漢字もなかなか気に入っている。
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これは、私のブログにコメントをくださる方の3割くらいの方は、おそらくご覧になっているであろう、あるブロガーさんの記事コメントに関する補足のようなものです。
