
そうですか。
インゲン豆ねえ。
しかし、なんで手が亡くなる豆か不明ですね。
そうそう、中国と言えば、先の日曜日には、近くの街中で、こんな光景が見られました。
(肖像権うんぬんは、多分問題ないと思われます)

歩行者天国らしく、こんなアーティスト通りも。

いろんなところで、日本が変わってきています。
この写真のような国際化は、いいことでしょうね。
しかし、手亡豆ならいざ知らず、国亡舞にならないかと、いささか心配なこの頃です。
そうだ。
大化の改新という呼び名で教えられていたクーデターで、入鹿が殺された原因は、確か、舞だったということになっていたんじゃないかなあ。
追記
真面目といったらこの方しか浮かばない、冗談が通じないブロガーさん(Satominさん)が、手亡豆に関係のある記事を書いて話題になっている。
ことの始まりは、“いじくりこんにゃく”という言葉を、英語以上の国際語と勘違いしたことからであったような気がするが、記憶が違っているかも知れない。
いじくりこんにゃくとは、けして卑猥な言葉ではなく、浜通り(福島県東部)では“可愛がる”という意味で使われる。
ところで、“ぶんず”だが、これはブドウのことを意味し、Satominさんが書かれているように“青いあざ”は、ぶんず色ということになる。
さて、この“ぶんず”が、なぜブドウを意味するようになったかを考えてみよう。
ぶんずとは、ビンズのなまりなのだ。
というのが私の説だ。
ビンズと言っても、豆を英語読みした日本語のビーンズのことではない。
ビンヅルがさらになまって、ビンズとなったとするのである。
ビンヅルとは、十六羅漢の一人の名前である。
ビンヅルは、羅漢果を食べて聖人になったと言われている。
羅漢果とは、最高の果物のことだ。
中国には、羅漢果と名付けた、大変甘い果物を栽培している所がある。
この羅漢果と葡萄は別の物だが、昔の日本人にとっては、ハミ(中国西部の砂漠地帯)あたりから伝わったブドウの旨さ、甘さは格別だったはずです。
ですから、葡萄を羅漢果と考えても、けして不思議ではありません。
羅漢果と言ったらビンヅル。
と、坊さんあたりが名付けます。
とにかく、お酒を般若湯、肉だって、サクラだのボタンだのと名前を変え、結局は肉を食べる日本のお坊さんなら、このへんはお手のもの。
ところで、ぶんずは浜通りではブドウと言いましたが、正確にはブドウ全体を意味するわけではありません。
実は、巨峰やデラウェアなどは“ぶんず”とは呼ばないようです。
小粒で形が悪く、場合によってはしわくちゃであったりする、山ブドウの類いなのです。
ですから、間違っても久美子さんや美咲さんに、
“おめぇのぶんずをむんずとつまんでむぐむぐずずずずしてぇ、ぶうぶう”
なんぞと言ってはいけません。
はい、久美子さんは卵で赤ちゃんをお生みになった方。まだまだ、デラウェアであって、“ぶんず”ではありませんから。
美咲さんは、ぶんずのはずがありません。
そんなことを言ったなら爺が怒ります。
はい、実は、隠れファンでして。
備考
ぶんずを分豆、つまりたくさん枝分かれした豆、という考えもできる。
また、鬢豆(びんず:長いひげのような蔓を伸ばした豆)もあり得る。
はい、Satominさんの記事で、ぶんずはともかく、いじくりこんにゃくは共通語の仲間入りをしたようです。
心配なのは、誤った使い方(笑)。
その場合には、手亡豆ではなく、手忙・マメになるでしょうなあ。
ちなみに豆は……。
以下、アメブロにふさわしくない内容のため、泣く泣く自粛いたします。