すぐ思いつく説は、“統る(すべる)”“命(みこと)”からきたというものでしょう。
では、【すべる】【みこと】とは、何を意味し、どこから来た言葉でしょうか。
私のブログを何度かご覧いただいていらっしゃる方なら必要ありませんが、もう一度おさらいしましょう。
寒い(さむい)
さぶい寂しい(さみしい)
さびしい のように、m音と b音 は、混同しやすい関係にあります。
これは日本語に限らず、世界各国の言葉に見られる傾向です。
ですから、すべる→すめる→すめら と変化したと考えるのは、ごく自然です。
しかし、ここでもうひとつの説を考えます。
スメラミコトとは、源となった音に近く、それ自体意味があると考えるわけです。
sumela-mikoto
saala-merkot
サアーラーは、太陽の息子(古代エジプト、新王国時代:約3000年前)という意味で、エジプトでは一時期、王名には必ず付けていた呼び名の一部です。
メルコトも、エジプトに影響を受けた中東の古い言葉で“油を注がれた者(新興宗教のひとつキリスト教でも、これは聖者に使われると思われる)”という意味であり、やはり王と同じことです。
つまり、スメラミコトとは王の中の王かも知れません。
ちなみに、古代日本の天皇名には、【タラシヒコ】という名前がたくさん見られます。
このタラシヒコも、
saa-laa haka
と考えると、やはり太陽の息子である王に近い意味合いです。
ちなみに、約3000年前のエジプトは、日本でも有名なツタンカーメン(トォットゥ・アンク・アメン)の父が、エジプト史上初の大宗教改革を行った頃です。
これは、本来八百万の神々を崇めていたエジプト宗教を中止し、太陽唯一崇拝に切り替えたのでした。
この改革は大失敗に終わり、最近までは、子どものツタンカーメンもその煽りを受けて殺されたのだ、とまことにしやかにささやかれていました。
この一神教宗教改革に破れた一派が、ユダヤ教の元になり、さらに新興宗教のキリスト教を生んだ、という説は昔からあるようです。
確かに、この時代と出エジプト・十戒で知られるモーゼの時代は重なります。
さらに、ここからは大部分SFになりますが、今ではユダヤ人しかいない、アブラハムの末裔の一部族が日本民族だとの説は、内村鑑三はじめ、触れてはならぬものに触れた【たたり】から暗殺された文部大臣などが唱えていたふしがあります。
この説は多分に眉唾物ですが、確かに日本の神事には、偶然と考えるにはあまりに奇妙なユダヤ教との酷似、相似の多さに驚きを隠せません。
余談ですが、神代文字とかアビル文字とか言われているものは、私の知る限りでは、すべてインチキ(後世の人が、ハングルやヒエログリフなどを真似て書いた文字)です。
さらに、余談ですが“私はイエスの言葉を伝えます”などとおっしゃって、やたら横文字言葉で話される方もいるようです。
不思議ですねえ。
イエスがキリストかどうかはさておき、ナザレのイエス様は、アラム語あたりを話されていたと思うのですが……。
いかがですか?
“私はイエスの生まれかわりわり”とおっしゃるお方、違いますか?
アメブロのお友だちさん。
てなことを言うと、アメブロから締め出しを食らうかな?
ああ、スメラミコト語源はお笑いいただいても、最後の方は危ない、危ない。