妖風 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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今南の国にあやしい煙が上がっている。

それは少なくとも私がまだ島ちゃんと呼ばれていた2、30年前には分かっていたことだ。


天使の都に住んでいたことがある方で、万が一知らなかったという方がいたなら、その方はよほどおめでたい方か、ただ住んでいたというだけで、長期海外旅行に梅干しと振りかけを持参して、ホテルのルームサービス生活をしていたような方だろう。




ある状況において、人は大きな勘違いをしやすい。

赤絨毯のタラップを踏みながら、電車の搭乗口まで車で乗り入れ、日本では考えられないような部屋に泊まらせてもらう。


と、それに対して悪意を抱く人はいないだろう。

厚意を持って迎え入れられたと感じて当たり前だ。


そういう旅は、その国を旅したことにはならない、というのが私の考えだ。


かつて、私が現在世界遺産にもなっている、ある山をある方と訪れたときには、そんな風であった。

あちらの国家議員が出迎えてくれる。

私の第2のオヤジとしていた方は、その国に行けば“歓迎!○◇先生”などという垂れ幕が出迎えてくれる人だった。

が、どう見てもただのおじさんだ。



このおじさんは、今はどうか知らないが、当時、日本では上野にしかなかったロダンの作品を、地元の田舎小学校に寄贈している。


これはすごいことなのだが、地元では金次郎さんの銅像のがありがたみがある。



さて、話が飛んでしまった。




今、天使の住む都に吹いている妖風が、日本にも飛び火しそうな雰囲気だ。



この風の意味は、深い。


目先のことだけではなく、日本の将来、私たちの子どもたちの未来に、大きな、いや、あってはならぬような事象が待ち受けている可能性も少なくはない。


ただ、私たちの何人がそれに気付いているのかは不明だ。



学校で教えている日本の歴史では、大化の改新と呼ばれているクーデターが、大きな出来事だ。


が、実は違う見方もできるのである。



私たちの多くは、今でも日本の歴史のポイントを外れたことしか教えられない。

私は、天皇制というのは、問題も多いが、たいへん優れたシステムだと思っている。


ただし、あまりに不勉強な崇拝者には、ただだだため息をつくばかりだ。



同時に、何も考えずに批判ばかりする相手もしかりである。