煩悩という名前の自然の摂理 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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大食い?少食?
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ある種のほ乳類は、1日に自分の体重くらいの食糧を得ないと死んでしまう。

また、ある種の爬虫類の中には、1ヶ月くらいは何も口に入らずとも平気なものもいる。

爬虫類ではなくとも、冬眠をする一部のクマなどのほ乳類も、数ヶ月を餌を取らずに生き延びる。

ヒトの場合も、水を全く取らなかったら2、3日生きられるかどうかだが、水が取れれば、1、2週間くらいは生きられる場合もあるようだ。

この飢餓の状態では、体内に貯蓄していた脂肪などを燃やして(生きるためには、心臓などを動かすためのエネルギーが必要で、体内では、食べ物を分解酸化=燃やす)いく。

やがて、脂肪が燃え尽きると、筋肉を燃やし始めていく。

しかし、こうした燃焼には水が不可欠となる。

水を摂取することは、体内の不要物を尿として体外に排出する以外に、実はこのような重要な理由がある。




ところで、なぜ生き物は食べるのだろうか。

これは生物として生まれてきたからには、当たり前の行為、生命の維持、発展のためだろう。


少し難しい話をすると、私たちの住んでいる宇宙は、どうも開いた宇宙らしい。
開いた宇宙というのは、無限に膨張をしていく宇宙という意味だ。

もし、宇宙全体の質量が、今科学者たちがはじき出している数値に大差がないものなら、そういうことになる。

膨張を続ける宇宙にあっては、その一部にあたる生命(ヒトがそう呼んでいるもの)もまた、膨張し続ける運命にある。

フラクタルなのは、シダの葉やリアス式海岸のみならず、生命、いや、宇宙構造全体にもあてはまると考えている。



宇宙構造から見れば、我々の銀河系などゴミにもならない。
そのゴミにもならない銀河系の、電子顕微鏡でさえ見えない粒が、私たちのいる太陽系だ。

その中で、仕分けだの、高速道路料金がどうのこうの、年金がもらえるのもらえないのとやっているわけだ。


まっ、実生活には、そっちのが大切なのではあるが。