
どうも私が間違っているようだ。
好きな苗字を訊いてどないしますかとか、それを集計して、またどうでもよか的ニュースのネタにするわけですな。
そのような疑問をもつこと自体が、疑問視される対象なのだろう。
では、勅使河原だの綾小路だのと言わせたいわけですかい。
はたまた、聞いたこともないような苗字を期待なさるかな?
さて、少し話題を変えよう。
現在では苗字を含めた名前は、結婚などの特殊な場合を除けば、まず変わらない。
が、百年ちょっと前までは、苗字がない人が人口の多くを占めていたし、苗字がある人にしろ、それは一生ものではなかった。
名前が変わるのが、当たり前であったのだ。
大黒様にされてしまった出雲大社の大国主などは、8個くらい名前がある。
しかし、名前というものは面白い。
古代の有名人たちは、今私達が教えられている、その人物の名前で呼ばれても、誰ですかいな、それは?
となるだろう。
例えば、聖徳太子だの、藤原鎌足さんだのと呼んだところで、本人は自分が呼ばれたとは思わない。
これは、まず間違いないことだ。