上にさぶらふ御猫は | しま爺の平成夜話+野草生活日記

しま爺の平成夜話+野草生活日記

世間を少しばかり斜めから見てしまうしま爺さんの短編小説や随筆集などなど
★写真をクリックすると、解像度アップした画像になります。

すいません。
これは私信のような、違うような……。

まあ、ブログ自体が日記と考えれば、改めてことわることもないですかね。



実はこれ、あるブロガーにコメントした件の説明です。

その方には全く説明はいらないのですが、あるいはコメントを見られて“なんやこれ?”と思われる方もいるかなと感じ、記事にしてしまいました。






平安時代を代表する作家?といえば、紫式部と清少納言でしょう。

ただし、2人とも本名ではありません。

この頃の女性の地位はたいへん低かったため、皇后レベルではないと、ほとんど名前は分かりません。


これから話す清少納言にしても、清原元輔の娘らしいというだけで、名前は分からないのです。


清原さんちの娘、少納言ところの姉さん。
ええい、めんどっちいから清少納言だ、といったところ。つまりは、あだ名のようなものですね。


さて、この清少納言、これも面倒だから清さんとします。

清さんは、藤原定子(名前が分かっている=皇后レベル)の教育係でした。


ある雪の降った朝?、定子が“高炉峰の雪やいかに”とおっしゃいました。

周りの女官たちは、意味もわからずポカーンとしています。

と、清さんがツツツと簾に近づき、それを上げます。

また、女官たちが“なにやってんのよ、あの清姉ちゃん”と思っていますと、定子が“さすがに清ちゃんね”と、お褒めの言葉。




これは、中国の『白子文集』に“高炉峰の雪は、簾をかかげて見る”とあるのを知っていた清さんが、定子の思いを分かってしたものです。




当時の中国(唐)といえば、世界の文化の中心(今でも、この考え方はありますが)です。『白氏文集』の白居易は、その中でも神様級。

当時ハイソサイアティーに身を置く者の、必読書だったかも知れません。


後になり、周りの女官たちは臍を噛んでいたかも知れませんね。


なお、清さんの後釜である紫さんはこの行動を“知ったかぶりした、はしたない女”みたいに日記に書いています。


清さんも紫さんも、当時の感覚では、けして幸せな女としての生きざまではなかったようです。が、これは本人が感じるものであり、他人が口を挟むことではないでしょう。



また、清さんの随筆には、五位になった猫の話が出てきます。


五位と言いますと、地方長官レベル。今なら知事に匹敵する位になりましょうか。

この五位と、それより下では大きな違いがありました。

帝の屋敷に入れるのは、五位以上だったからです。

さて、おそらくまだあまり猫が一般的でなかった頃、定子には愛猫がいたようです。

この猫、清涼殿(帝の屋敷)にもお邪魔することもあったでしょうから、どうしても五位は必要になったわけです。


ですから、長年仕えて、五位どころか無冠位の者などが、犬をけしかけ“あんな猫食っちゃいなさいよ”とか言っているようです。



清さんの晩年には、やはり清さんらしい逸話がありますが、それはまた別の機会にでも。






清さんの文章は、1000年を経た今でも、何ら色褪せることがありません。



サラリーマン受けするような、鋭い切り口が所々に見られます。



私にとっては、芥○賞の作品のいくつかなどよりは、はるかに面白く飽きない、と感じたりもしています。