すいません。
これは私信のような、違うような……。
まあ、ブログ自体が日記と考えれば、改めてことわることもないですかね。
実はこれ、あるブロガーにコメントした件の説明です。
その方には全く説明はいらないのですが、あるいはコメントを見られて“なんやこれ?”と思われる方もいるかなと感じ、記事にしてしまいました。
平安時代を代表する作家?といえば、紫式部と清少納言でしょう。
ただし、2人とも本名ではありません。
この頃の女性の地位はたいへん低かったため、皇后レベルではないと、ほとんど名前は分かりません。
これから話す清少納言にしても、清原元輔の娘らしいというだけで、名前は分からないのです。
清原さんちの娘、少納言ところの姉さん。
ええい、めんどっちいから清少納言だ、といったところ。つまりは、あだ名のようなものですね。
さて、この清少納言、これも面倒だから清さんとします。
清さんは、藤原定子(名前が分かっている=皇后レベル)の教育係でした。
ある雪の降った朝?、定子が“高炉峰の雪やいかに”とおっしゃいました。
周りの女官たちは、意味もわからずポカーンとしています。
と、清さんがツツツと簾に近づき、それを上げます。
また、女官たちが“なにやってんのよ、あの清姉ちゃん”と思っていますと、定子が“さすがに清ちゃんね”と、お褒めの言葉。
これは、中国の『白子文集』に“高炉峰の雪は、簾をかかげて見る”とあるのを知っていた清さんが、定子の思いを分かってしたものです。
当時の中国(唐)といえば、世界の文化の中心(今でも、この考え方はありますが)です。『白氏文集』の白居易は、その中でも神様級。
当時ハイソサイアティーに身を置く者の、必読書だったかも知れません。
後になり、周りの女官たちは臍を噛んでいたかも知れませんね。
なお、清さんの後釜である紫さんはこの行動を“知ったかぶりした、はしたない女”みたいに日記に書いています。
清さんも紫さんも、当時の感覚では、けして幸せな女としての生きざまではなかったようです。が、これは本人が感じるものであり、他人が口を挟むことではないでしょう。
また、清さんの随筆には、五位になった猫の話が出てきます。
五位と言いますと、地方長官レベル。今なら知事に匹敵する位になりましょうか。
この五位と、それより下では大きな違いがありました。
帝の屋敷に入れるのは、五位以上だったからです。
さて、おそらくまだあまり猫が一般的でなかった頃、定子には愛猫がいたようです。
この猫、清涼殿(帝の屋敷)にもお邪魔することもあったでしょうから、どうしても五位は必要になったわけです。
ですから、長年仕えて、五位どころか無冠位の者などが、犬をけしかけ“あんな猫食っちゃいなさいよ”とか言っているようです。
清さんの晩年には、やはり清さんらしい逸話がありますが、それはまた別の機会にでも。
清さんの文章は、1000年を経た今でも、何ら色褪せることがありません。
サラリーマン受けするような、鋭い切り口が所々に見られます。
私にとっては、芥○賞の作品のいくつかなどよりは、はるかに面白く飽きない、と感じたりもしています。