それは、田舎生まれの私でもしたことがありませんでした。
が、昨日はごく自然に生のまま口に運んだばかりか、2個も食べてしまったのです。
話を戻しましょう。
母の葬儀の折り、今や現役引退し、趣味とは言えないレベルで畑仕事にいそしんでいる叔父がおり、彼が持ってきてくれたトマトに、40年ぶりに“トマト”を食べた思いがしたことを書きました。
叔父は、その時の私に、何かを感じ取ったのでしょう。
昨日、宅配便でサツマイモやらトマトやらダイコン、ショウガ、サトイモに混じって、濃い緑色に光るピーマンがあったのです。
不思議なことに、私は自然に(軽く水洗いしてから)ガブリとしていました。
うまい。
ピーマン独特のいやな生臭さのようなものがなく、甘ささえ感じられます。
私は、また、次の1個に手を伸ばしていたのでした。
トマトは、もちろんまず1個食べました。
子どもに食べ方を教えてやりながら。
が、地元の仕事から帰ってきますと、トマトは跡形もなく消えていたのです。
以前、3日ほど鍵を掛けずに外出したことがありました。
私がここへ越してきた10年前の100倍近くの人口になった、東京近郊のベッドタウンでは、最近泥棒がよく出るようです。
が、3日もオープンだった我が家に泥棒が入った形跡はありませんでした。
もし泥棒が入ってたとしても、逆に何かを置いていってくれたかも知れません。
ですから、トマトは空き巣に取られたのではないでしょう。
やはり、子どもの方が味覚は敏感です。
野菜嫌いな子も、おいしい野菜なら食べられるものはたくさんあるに違いありません。
しかし、今の日本では、おいしい野菜や水を手に入れるには、なかなか難しく、また、高価なものになりそうです。