
たしか、そんな言葉がありました。
速い話が、最低限の生活から解放され、余裕ができてやっと自分や周りが見えるようになるということでしょう。
いやはや、厳しいお言葉です。 確かにおっしゃる通り。
今は身の回りのハエを追うどころか、明日の飯。
いや、これは大げさですが、子どもたちの遊びどころか、教育費や生活費に天を仰ぐ状態。
情けないですわい。
恥というものは、とうの昔に捨てたから生き長らえてはいるものの、親のバカさ加減で罪ない子どもの将来を狭めてしまった男は、まあ、いい老後を迎えるのが厳しそうですわいな。
まっ、笑ってごまかそう。
さて、スキンケアなるものもこれに似ています。
よいことがわかっていても、ある程度の余裕がないと出来ません。
確かに、フェイシャルマッサージなどは、男でも気持ちのよいものですし、ハーブの香りの残る皮膚の、少し突っ張ったような感覚は、生まれ変わったように感じることもあります。
が、これらは余裕がないと出来ません。
やはり、食足りて……のことです。
しかし、負け惜しみを言うようですが、一番のスキンケアは、水で洗うことと感じています。
ただ、先の記事にも書きましたが、残念ながら“水”がなかなかありません。
私の父は、数年前軽い脳梗塞を患い、その後しばらく視力が極端に落ちて、外を歩くのが危ぶまれたことがあります。
その後父は、家の水で毎日目を洗い続けました。
そして今や、80歳を過ぎたのに老眼鏡も不要な視力を取り戻しました。
私なんかより、はるかに素晴らしい視力を持っています。
とてもその年と思われぬ顔つやで、肌年齢は私の方がむしろ上かも知れません。
父が使っている水は、水道水ではなく、数十メートル掘った井戸の水ですが。
世間で売られている、あまたの化粧品の類は否定しません。
が、多分、水にまさるものはないような気がします。

