
我が家は現在4人家族です。
時々、上の息子が連れて来ては夜遅くまで、なんか知らんけどずーっと部屋に二人きりになっているお嬢さんや、下の息子の友達でゲームをしにきたキャッキャッ連中など、一時的に人口が増えることはありますが、まあ、10人をこえることは滅多にありません。
私が子どもの頃は、私の生まれた実家にしろ、母の実家にしろ、常にたくさん人が出入り(断っておきますが、あっちの出入りではないですよ。そっちです)していましたから、ちょいと寂しいですな。
というわけで、我が家で比べるなら、私はすべてトップ10入りしますなあ。 とにかく、分母が少ないですから。
あら、これでは叱られそうだ。
それなら、あと少しだけ真面目にいきますか。
たぶん日本国内ならトップ10入りできそうなもの。
★★★大火球目撃
1966年だったと思いますが、北関東で満月より明るくなり七色に光りながら落ちた大火球があります。翌日、私は興奮覚めやらぬうちに皆に話しましたが、その時は先生にも信じてもらえず、ああ世の中には、本当のことを言っても信じてもらえないことがあるのだ、ということを知ったのでした。
次の日に、宇都宮にある観測所が火球の観測をしたとして地元新聞に載ったり、同じく火球を見た近所のおばあちゃんが、腰が抜けて立てなくなっているなどの話が出てきて、やっと信じてもらえました。
一生に一度でも火球を見ただけですごいことですが、私はもう一度、変わった大流星(天体雑誌には火球と書いていたものもありましたが、それほど大きくも明るくもなかった)を目撃しています。
それは仙台でのことで、確か1977年だった気がします。
この時は、流星が目に留まる前に高周波音のようなものを感じ、空を見上げると流れ星というにはいささか大きな、ヘビのような光が筋を作っていきました。
(専門家の方へ:流じょう痕を見たのではありません。その前の大気圏突入直後です)
その後すぐに麻雀仲間の家に行き、話をしているうちに(とは言っても徹マンでしたから、かなりの時間はたっている)ニュースになっていましたなあ。
この大流星は、天文雑誌などでも大きく取り上げられましたから、ご存知の方もいらっしゃるでしょうね。ただし、この流星は、私が小学生の時に見た火球とはまったく比較になりません。
象とハツカネズミくらいの差があります。
それでも、まあ、日本国内で見られた流星としては大きい方かも知れませんが。
このように、ごく稀な天体ショウを2回目撃しています。
おそらくこれは、しし座流星群のような、かわいい流れ星を追いかけている専門家を入れても、10人に満たないかも?なんて思っています。
ちなみに、先に挙げた大火球の後、子ども探偵団が結成され、私は友人から100グラム以上ある磁石にくっつく、不思議な石をもらいましたなあ。
今それは、実家のどこかに埋もれているはず。
あれが隕鉄なら、隕石ハンターのいない日本では、個人所有のものとしては、トップ10入りしますでしょうなぁ。
なお、まったく仕事には使い道のない、いろは歌に関しては、お笑い界の大御所、女プロレス解説者、相撲界の重鎮であらせられた小島貞二先生から、東の横綱と褒められたことがございます。
その頃、先生主宰の、第一線のプロも集うお笑い仲間クラブに誘われたのに、仕事が多忙(塾講師だったから、今の3分の1以下だ!)を理由に遠慮しちゃいましたなあ。
あーあ、もったいないことしました。
そうだ、今はダメですが、瞬間網膜焼き付け記憶術は、結構なものでしたよ。
小学生の時にあったIQテストの記憶力テストに出た、カラスの7羽いる絵があまりに馬鹿馬鹿しく、あえて間違えてやりましたなあ。
でも、今は忘却術の免許皆伝目指して爆走中。
たぶんこれも、近々トップ10入りできるでしょう。