夏目漱石の代表作「吾輩は猫である」にはちゃんとしたモデルがおり、それが黒っぽい虎猫であった事はあまり知られていません。明治37年(1904)、夏目家に迷い込んできたこの猫は、「これは爪まで黒い珍しい福猫です。飼っておけばきっと繁盛しますよ」という通いの按摩さんの一言で家族の一員となりました。按摩さんの予言通り、明治38年に出版された「吾輩は猫である」が大ヒットします。それから3年後の明治41年、この猫が死んだ際、漱石は友人宛に猫の死亡通知を出したと言います。漱石宅の裏庭にある猫の墓所には、13回忌の時に九重の石塔が建ち「猫塚」と命名されました。