何かを選択をする時に、「何が正解なんだろう」「どちらを選べば良いのだろう」と、私は幾度も悩んできました。


間違うことを恐れるあまり、正解を求めていましたし、大切なことは何であるのか、分からないままに生きていたのです。


けれど今では、こう思います。正解もなければ、間違いもないと...


私たちが体験することはみな、愛へと至るプロセスです。喜びを通じて成長しようと、困難を通じて成長しようと、本当はどちらでも良いのです。だから困難が待っていたって、間違いというわけじゃないのです。


しかし困難を体験すると、「愛や喜びから切り離された」「社会や神から切り捨てられた」「私は愛されていないんだ」などと、心で感じてしまう為、人は怖くてたまらないのです。


その時自分が見えているもの、その時自分が体験したこと、それが全てと思い込み、間違いだったと決め付けるのです。


けれどもそれは、誤解です。


体験を活かすも無駄にするのも、結局は自分次第です。


つまり体験に価値はなく、創造主である私たち自身が、自分自身の反応によって、体験の価値を生み出しています。


とは言えできることならば、痛い思いは避けたいものです。その為に何ができるでしょうか?


それは人生の創造主である、自分の心を知ることです。選択の動機は3つあり、「愛」または「怖れ」そして「2つの入り混じったもの」です。


「痛みを体験しなければ、痛みの分からない人になる」とか、或いはもっと単純に「私は価値のない人間だ」とか、何かの怖れを抱えていれば、それは痛みを引き寄せます。


瞑想や様々なセッションを通じ、「全ての動機を見つめていくこと」「怖れを手放していくこと」で、選択の動機が変わります。創造のエネルギーが変わります。


色々調べて考えることも、時にはとっても大切ですが、「怖れを動機にしないこと」「愛から選択・行動すること」が、何にも増して大切なのです。

感情を認め、解放する為のシンプルなアファーメーションです。ピンと来た方はご一緒にどうぞ。


私は全ての感情が、神聖であると知っています。


怒り、憎んでいる時も、私は神聖な存在です。


怒りや憎しみを抱えていようと、私は愛される価値があります。


怒り、憎んでいる時も、私は深く愛されています。


私は恐れを抱くことなく、本当の感情を感じます。


本当の感情を知ることにより、私は私を癒します。


私はどんな感情も、ただそのままに受け入れて、ただそのままに感じます。そして全ての感情を、癒しと創造の道具とします。


恐れも批判もごまかしも、今の私には不要です。感情を深く感じる時に、私が望んでいるものは、愛だけであると分かります。そのことを既に知っています。

この頃ずっと、小さなことに囚われていました。それは仕事を、本当の意味で開始すること。自分自身を整えること。


焦りや不安を感じていたし、気ばかり急いていたのです。


「早く形にしなくっちゃ」と、そのことばかりに思いをめぐらし、何より1番大切なことを見失ったままでいたのです。


けれども今夜、思い出すことができました。


私が本当に望んでいるのは、そんな小さなことじゃなかった。


何処にいようと、何をしようと、「全てが喜びである状態」を、ここで生きていくことだった。


どのような人に出会っても、その人の心の美しい部分に、いつも自然と目が行くような、曇りなき眼差しをもつことだった。


ヒーリングという自己表現、ヒーリングという分かち合いでさえ、絶対的なものではなかった。


そのことを思い出しました。