怒ることは悪いこと、怒りの感情はネガティブなもの。そんな風に誤解していませんか?

神様だったら、きっとこう言うでしょう。

全ての感情は神聖なもの。
怒りをネガティブと思うのは、
 怒りを怖れているからだ。
 怒りを感じることを怖れているからだ。
 怒りを気付かれないかと怖れているからだ。
 怒っている人は嫌われると怖れているからだ。
 怒っていることは感じが悪く、
 愛されないと怖れているからだ。
 
けれど我が子よ
 私はあなたの全てが愛しい。
 怒っているあなたも大好きだ。
 どんなあなたも丸ごと好きだ。
 愛されるために自分を偽る必要はない。
 良い子でなければ愛されないとは、
 人が作った思い込み。
 人々が抱えた誤解と怖れ。
 そもそも愛とは無条件。
 あなたの内にもその愛があり、
 皆の内にもその愛がある。
 私があなたを作った時、あなたにも愛が宿ったんだよ。

だからあなたにはできるんだ。
 怒りという名の自然で特別な感情を
 ただそのままに感じること、
 ただそのままに愛することが。

この特別な感情は
 自分を知ることを助けてくれる。
 自分がどうしてそう感じるのか、
 一体何に傷ついたのか、
 本当は何を望んでいるのか
 怖れずきちんと受け入れた時、
 しっかり気付かせてくれるんだ。
 そして癒しを助けてくれる。

ただそれだけのことなんだ。 

結果で判断するのは止めましょう。
そこにたいした意味はありません。
正しい選択をしたからといって
すぐに結果となるとは限らないのですから...

あなたが失敗だと思っていることは
成功や幸せに至る為の途中経過かも知れないのです。

どこかの誰かが言っていました。

多くを経験し、多くを学んだことは
失敗ではありません。

別の誰かはこう言いました。

失敗を恐れて挑戦できないことこそ
致命的じゃないか?

そして私はこう言います。

結果で判断するのは止めましょう。
物事がうまくいかない時は
いつでも最初に立ち返りましょう。

何故、それを選んだのですか?
自分の心に従いましたか?
誰かの期待に添うためですか?

どうしてそのやり方だったのですか?
自分を信頼したからですか?
それとも信じ切れなかったから?

あの時はまだ見えていなくて、今見えているものは何でしょう?
あの時はまだ感じていなくて、進むにつれて感じたものは何でしょう?
進んだからこそ見えてきたもの、体験したものがあったはずです。
勇気あるあなただからこそ、受け取れた何かがあったはずです。

どんな気持ちから決断したかが、本当は一番大切なのです。

何故ならそれこそがあの瞬間
あなたが世界に放ったものだから。
あなたがあなたに贈ったものだから。

愛から選んだことならば、進んだからこそ見えてきた
恐れ、疑い、自信のなさ、成功するための条件付けなど
気付いた幻想を手放すことが、次のステップとなるでしょう。

望んだことを選びきれずに、誰かの期待に添おうとしたり
妥協から生まれた行動だったら、そこにあるものを癒すだけです。

あなたがそれを選んだ時
本当は怖かったのかもしれません。
或いは迷いがあったかもしれません。
けれどそれだけの勇気があった。
凄いことだと思いませんか?

誰かを妬んでしまう時
何かをバカにしてしまう時
いじわるをしてしまう時
怒りや憎しみを手放せない時

そんな瞬間があったとしても...

優しさが足りないと感じる時
わがままだなぁと感じる時
うそつきだなぁと思う時
嫌な奴だなと落ち込む時

自分に落ち込むことがあっても...

私は愛の存在です。
あなたも愛の存在です。
誰もが愛の存在です。
例外なんて1人もいません。

妬みは
自分の立場が脅かされると恐れたり
自分には叶うはずがないと
卑下する気持ちから生まれます。

見下す気持ちは
無理解と偏見から生まれます。

怒りや憎しみは
自分が大切にされていないと
信じることから生まれます。

愛の欠如とは違うのです。
愛を欲しているだけなのです。

自分自身に対する批判も
愛の存在でありたいと願う
純粋な想いが根底にあります。

私やあなたは愛の存在であるからこそ
愛し、愛されたいと願い
愛そのものでありたいと望んでいるのです。

そして私たちは
私たち自身のことを諦めない限り
無限の可能性があるのです。

久々すぎるアファーメーション(笑)は
自分を愛し信頼する為の宣言文です。
ピント来た方は、深い呼吸で自分の全身へと取り込んでみて下さい。

私は愛の存在です。
どんな感情の裏側にも
愛し、愛され、愛そのものでありたいという
私の思いがあふれています。
私はそのことを知っているので
どのような私をも愛することができます。
愛が私の導き手です。