もうすぐ幼稚園で発表会があるJJさん。
皆に「意外すぎる」と言われますが、
舞台ではとっても照れ屋でシャイな彼
なのに今年は主役的な役ををもらってきて
大丈夫かなぁと憂う親を尻目に、
毎日家の外中構わず、
でっかい声で一人リハーサルしてます。
そして私に羊役をやれと要求。
すまぬ…
母は幼稚園に通っていないのだよ
今年は少し成長した姿を
舞台でみられることを
ほんのり期待しつつ、
今日も賑やかな夕べが過ぎて行きます。
風呂場でも全開でリハ中
最近、講座を受講してくださっている方々と
お話しをさせていただいていると、
近年、初めてこういったことに
興味を持たれた方が
思いの他多いことに気づきました。
それほど宇宙の後押しが
働いているんだなぁと
改めて実感する今日この頃です。
長ければいいというものでは
全くありませんが、
私自身は、精神世界に足を踏み入れて
20~25年ほどになります。
ですから、ある程度様々な
流れやブームを見てきました。
特にこの10年ほどは、
様々なブームが一世を風靡しては鎮静化する、
という繰り返しがあったように思います。
一つ一つは意味があって起きていることで
それぞれに役割があったと思います。
人々がこういった世界に抵抗がなくなるように
広く世に広める目的のブーム。
ルールや常識に雁字搦めになっている人々に
もっと違う生き方があると
気づかせるためのブーム。
私が知っているだけでも
様々なブームがありましたが、
どのブームも宇宙の真理を扱っているけれど、
どれもが宇宙の真理の一部だけに
焦点を当てたものである、
ということを分かっている必要が
あるなと思います。
つまり、ブームをリードする存在達は、
無意識にその一面だけを強調して見せている
ということを、
ついていく側が判っている必要があります。
ただ表面だけを見て、
お手軽で都合がいい部分だけを真似、
物理的な成功やきらびやかさだけを
目指していたのでは、
本質の部分を見落としてしまいます。
一時期、流行熱のように
夢中になってのめりこんで、
「やっぱり違った!」
「結局うまくいかない!」
「何も変わらない!」
ってなって、スピリチュアルなんて!
ってなるのであれば、
それは理解を違えていただけなのだと思います。
本質のスピリチュアルとは、
私達の本質そのもの。
「在り方」であり「生き方」です。
ですから、
何かのブームのように「やーめた」とか
できないものなのです。
本質は、
全てを包括していて、
バランスがとれていて、
一過性のものではありません。
宇宙の真理や法則は確実に存在します。
その宇宙に生きている限り、
そこから逃れられる者はいません。
そしてそこにはブレがありません。
ですから、宇宙の真理や法則には
流行り廃れはないのです。
不変の真理がそこにあるだけです。
そして、その不変の真理の中における
私たちの成長におわりはありません。
目醒めたら終わり、
ではなく、目醒めの先にも、
更なる目醒めがあるのです。
惑星だって、
私たちが神様と呼んでいる存在達だって、
今も絶え間なく学び続け、
成長し続けているのです。
だから、私たちが多少
「わかった!」と思うぐらいで、
終わり、ではないんですよね。
多くのブームを視てきたきた感想は、
いずれのブームも、
あれだけ盲目的に慕っていたリーダーを
真似てもうまくいかなくなった従事者たちが
批判して終わるということが多い様に思います。
ブームだけでなく、
特定の霊能者が能力者に
盲目的についていっている
信者たちも一緒です。
最初はそれでもいいと思うのです。
でも、スピリチュアルな教えを
実践していく上で最も大切なのは、
「自立し、自分で感じ、行動していくこと」
だと思うのです。
これは、誰のことも慕うな、ついていくな、
といっているわけではないのです。
私自身、沢山の師にであい、
沢山の学びを与えてもらってきました。
そのおかげで今があります。
でも、その師が100%になってしまうと、
皆、自分で考え、
感じることをやめてしまいます。
それは本末転倒です。
誰かになんとかしてもらいたい。
お手軽になんとかしたい。
そんな他力本願で、
目醒めなどないと思います。
そして、
矛盾しているようですが、
他力本願をやめ、
自分の足で歩くときに、
沢山のサポートがやってきて、
素晴らしい導きに恵まれ、
一過性ではない真のつながりが
広がっていきます。
そして、悠々と楽しく
人生を歩いていけるのだと
思います。
【目醒めて生きる】開講中
いつもありがとうござます。