真の豊かさとは | Bliss of Gaia 〜本当の自分を生きよう〜

Bliss of Gaia 〜本当の自分を生きよう〜

新しい地球では「本質で生きる」「自立する」がキーワード。
本質で生き、自由に自分の世界を創造していくことをナビゲートします。

今日は岡山来訪記をお休みして、最近感じていることを書いてみたいと思います。

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近年、「ありのままで」とか「自分を愛す」などという言葉をよく聞く様になりました。

また「女性性の解放」や「女性性と男性性の統合」などと言った言葉も…。

女性が抑えていたものを解放し、自分自身を素直に表現し、ありのままの自分を認め、愛することで、豊かさになる、ということがブームにもなっている気さえします。

自分自身を素直に表現して、大切にすれば、収入も人脈も無限に豊かになり続ける。
全てはエネルギーであるから、それを淀みなく循環させることで、更なる循環が生まれる。

私自身2013~2014年にかけて携わったエネルギーのお仕事は、女性性の解放や癒しに関するものが沢山ありましたので、2014~2015年にかけてこういった社会現象が起こることは必須だったのだろうと思いますし、エネルギーのお仕事の成果を目の当たりにする様で、興味深くもあるのです。

ただ、このブームにちょっと疑問に思うこともあるんです。

以前ブームになった「引寄せの法則」も同じですが、確かに間違ってはいないのです。

真実なのです。

そして地球の波動を上げるためにそのブームが果たしている大きな役目があるのも確かです。

ただ、「その先の真理」があるのも真実なのだと思います。

「引寄せの法則」は宇宙の法則の一つではあるけれど、宇宙の法則の全てではないように。


クローバークローバークローバー

自分を愛することは何よりも大事です。

ただ、真に自分を愛する・満たすということは、エゴを満たすということとは似て非なるものなのではないかと思います。

確かに、これまで限りなく自分の願望や本音を押さえ込んで生きてきた人が本当の自分を表に出して生きていくためのリハビリする過程では、エゴでもなんでも満たしてやることが必要です。

それはどこか愛情に餓えきった子供との関係性を取り戻す時に、年齢に拘らずその子が必要なだけずっと抱っこしたり、添い寝をしたり、好きなものを買い与えたりする過程に似てい類似した気がします。

でもその子の心が満たされた後もずっと同じことが必要とは限りませんよね?

自分を愛することも同じで、自分を思う存分甘やかせてあげて、愛しきったら、その先にあるのは「エゴの増幅」ではなく、「本質の愛」への目覚めであるはずなのです。

クローバークローバークローバー

確かに豊かさは有限ではなく無限です。

誰かが豊かになることで、自分の豊かさが奪われるわけではありません。

豊かさも、私達の潜在意識が制限しない限り、無限に拡大していくのでしょう。

ついでにいえば、確かにお金も無限です。
それは宇宙の法則というより、貨幣制度がその様になっているからでしょう。

ただその際に、少し立ち止まって考えてみてもよいかなと思います。

「豊かさ」ってなんでしょう?

やりたいことをやれるお金がある、食べたいものを食べれるお金がある、欲しいものを買いたいお金がある、自分が気持ち良くなる贅沢ができる、有名になる、チヤホヤさる…


確かにそれも豊かさです。


だけど、それだけでは真の豊かさではないと思うのです。

贅沢は、成功の一つの証の形ではあるかもしれないけれど、それだけでは持続可能な豊かさではないのです。

有名になることは、成功の一つの証の形ではあるかもしれないけれど、それだけでは幸せにはなれないのです。

所有欲や承認要求を満たしても、もっと、もっとの無限ループに入ってしまえば、それは真の豊かさからかけ離れていく気がするのです。

確かに「豊かさは無限」です。

だだ、地球の「資源は有限」です。

本当の豊かさは、何かがなくても、何もなくても、幸せを感じられる心にあるのだと思います。

それはやせ我慢などとは違い、本当に心や魂が満たされている人のみが達することのできる真の豊かさなのだと思います。

自分を大事にし、周波数を変えることで望むものを手に入れられるようになることは素敵ですが、その「望み」が純粋なつもりでも、周りに影響を受けた望みだったり、「もっと、もっと」というエゴの声だったりすることもあり、そうなるとどこまで豊かになったつもりでも心の底から満たされることはないのだとおもいます。

最初は純粋に自分を取り戻す旅だったのに、
自分を大事にして行けば、世界も大事にできるはずだったのに、

もっと、もっと…

あの人には負けられない…

私と意見が違う人は、波動が低いから合わないのよ…

そうなってしまうと、結局は「調和」ではなく、「分離」の世界を生み出すことになってしまうのですよね。

昨今の「ありのままの自分を愛する」ブームは、両刃の剣だなと思いました。
私達がその本質を理解し、エゴの増幅ではなく、本質の愛に目覚めるための一歩になることを願います。

そういう私もまだまだ完全に理解しているとは言えず、試行錯誤しながら進んでいます。

クローバークローバークローバー

今日のテーマに相通じる所があるので、最近日本のテレビで放映されたとかで名前をお見かけするムヒカ元大統領が行った2012年のリオ会議(Rio+20)でのスピーチを掲載して終わりたいと思います。
( 打村明氏の日本語訳を拝借しました。)



会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。

ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直な志をここで表現しているのだと思います。

しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。私たちの本音は何なのでしょうか?現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?

質問をさせてください:ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。

息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億~80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?可能ですか?それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?

なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?

マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。

私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?

このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?

このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判するためのものではありません。その逆です。我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、政治的な危機問題なのです。

現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。

ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。

このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです!そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。

石器時代に戻れとは言っていません。マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。

昔の賢明な方々、エピクロス、セネカやアイマラ民族までこんなことを言っています

「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。

国の代表者としてリオ会議の決議や会合にそういう気持ちで参加しています。私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。

根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。

私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。でも、世界でもっとも美味しい1300万頭の牛が私の国にはあります。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。

私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。なぜか?バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。

そして自分にこんな質問を投げかけます:これが人類の運命なのか?私の言っていることはとてもシンプルなものですよ:発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。これらをもたらすべきなのです。

幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。環境のために戦うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な要素であるということを覚えておかなくてはなりません。

ありがとうございました。








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