みなさん、こんにちは、スピリチュアル ディレクター(スピリチュアル カウンセラー)のイェシュアです。
秋の訪れが来ました。みなさんは、いかがお過ごしでしょうか?幸福な秋の日々を、みなさんが満喫していることを、切に願います。
それでは、今日は、「自分という存在は、他人(みんな)のもの」ということについて、お話させて頂こうと思います。
もし、自分という存在が、自分だけのものだとしたら、自分をどう扱おうと、自由ということのなります。この認識では、私達は、自分自身を乱暴に扱い、身の破滅へと至ることになります。酒を飲もうが、たばこを吸おうが、食べ過ぎようが、不規則な生活をしようが、構わないからです。
ということは、「自分という存在は、自分だけのもの」という認識は、誤りであると言えます。何故なら、その認識は、私達を破滅へと追いやるからです。
それでは、「自分という存在は、他人(みんな)のもの」であるとするのならば、どうなるでしょう。自分という存在は、他人(みんな)のものであるのだから、自分自身を身勝手に扱うことは出来ず、自分自身を大切にしなければならなくなります。この認識によって、私達は自分を律し、身の破滅から、自分自身を救うことが出来るようになるのです。
そして、自分自身を破滅から守ることによって、私達は心身を健全な状態に保つことが出来、より良く、他人(みんな)のために、働くことが出来るようになるのです。
こうして、「自分という存在は、他人(みんな)のもの」であるという自覚を持つことによって、私達は、自分自身の幸福と他人(みんな)の幸福のために生きる、ということが出来るようになるのです。
肉体によって、分離しているがために、私達は、つい、「自分という存在は、自分だけのもの」であると思ってしまいます。この誤った認識を、その都度、訂正し、「自分という存在は、他人(みんな)のもの」であるということを思い起こすことによって、自他共に幸福な世界を創造するために、日々、働いてゆきたいものです。
それではまた:)
イェシュア