妻は、気分が落ち込むと寝られなくなる。
丸2日間起き続けて、眠剤を使ってようやく寝たかと思ったら1時間半ほどで起きてくる。
顔は憔悴しきり、気分はさらに落ち込んでいく。体力も相当奪われる。
自由に寝れないというだけで、ひどく落胆するようだ。

今日、病院に行ったら、比較的元気そうだった。
昨日の夜、病院に来て初めてある程度まとまって寝れたそうだ。
そういう日の顔は艶やかで、口も比較的軽い。

が、夜になってメールが来た。
「寝れない。苦しい。助けて。」
ほんとうは携帯を使ってはいけないのだが。

家にいたときも、私には何もできなかった。
それどころか、横で私だけ眠りに落ちた。

鍵と物理的距離を隔てた今は、
もっと何もできない。
そばにいることも、なにも。

これでほんとうにいいんだろうか、よくなるんだろうか、
と迷いが生じる。


元気になった妻へ:
元気になったら同じ布団でぬくもりを感じつついっしょに寝よう。私はあなたの寝顔が、気持ちよさそうにすやすや眠るその顔が大好きです。落ち着いて、何の心配もなく、ゆっくり眠ってほしい。そして明日の元気な姿を取り戻して欲しい。
妻は、妊娠している。

妊娠という大きな環境の変化に対して、うつがまたやってくるという予感がなかったわけではないけれど。
私たちは妊娠を決意した。

妻は子どもを欲しがっていた。
うつになった今、おなかの子どもが憎いと疲れ果てた顔で訴える。

妻の苦しそうな様子を見ていると、
私には、新しい小さな命と、世界で一番大切な命の両方を天秤にかけることはできない。

いや、私は本心では妻の命の方がずっとずっと大切だと思っている。
子どもの命なんてどうでもいい。

でも、私の理性は、命を量らせてはくれない。

うつは、それ自体では死にはいたらない。
ただ、うつに苦しむ本人が、自らの手で死へと行動をとることがありうる。

そして、私の理性は2つの命で無力にも引き裂かれたままとなる。

妻の両親も含めた家族会議で、最悪の事態の場合妻の命を優先することに決めた。
そうこうしている間にも時間は流れ、妻は病院に入れられ、薬を投与される。

決めたのだが、なにか釈然としないところがある。
私の理性のせいだ。

私は人間の理性を信じている。いわば信仰している。
今、その信仰が踏みにじられている。私のアイデンティティが揺らぐ。私の思考が停止する。


妻に元気になって欲しい

そう思うのがやっとのところだ。

元気になった妻へ:
私にはどうなるのか分からない。でも、あなたが元気な赤ちゃんを抱いて母親の笑顔で頬をこすりつけられることを信じています。いや、どうなってもいい。私はあなたといっしょにいられれば、それで幸せです。大好きなあなたが早く戻ってきて欲しい。
妻が閉まる扉の向こうに立って、長い髪に隠れた弱々しい微笑とともにこちらを見ている。
鍵のついた扉は閉まり、ガラス越しに声なく手を振る姿を見たとき、私の顔の筋肉は一気に収縮し、目元に力が入らざるをえなかった。帰り道、その収縮が繰り返し続いた。

私の妻は、うつで、昨日鍵のついた病棟に入れられた。
妻と私は、鍵のついた二重の扉で仕切られ、いっしょに家でたわいもない話をしたり、買ってきたごはんを食べたりすることもできない。

妻が元気になって、Googleなどでこのブログをもし見つけるようなことがあるとき、私の今の気持ちが伝わればと日記をここに綴ろうと思う。

元気になった妻へ:
私は今もあなたを愛しています。早く元気になって、また新しい日々をいっしょに過ごしていこう。あなたが好きな公園を散歩して、喜びに満ちた風を肌で感じよう。