怖い映画をなぜ見たがるのか、という問いに答えることは難しい。まあ、そもそも、どうあがいたところで世界というのは怖いものだという前提がある。頭からつま先まで怖いものとは限らなくても、世界という総体には、われわれの恐怖を掻き立てる側面があることは間違いない。我々の人生の中には必ず恐怖がある。映画がそれを描くのは当然のことだろう、と思う。むしろそういうエモーションを無視した表現のほうが不自然ではないか。
それに、怖いものに触れるというのは嫌な気分になるばかりではなく、どこかこう、癒しのような効果だってあるのだ。と言っても理解できない人もいるだろうが……。世界の恐怖に触れて傷つき、おびえて縮こまり、陰鬱な冷気の中に浸っているような気持というのは、大小の差こそあれ誰でも経験したことがあるのではないかと思うが、そういう時に心を揺り動かし、時に静かに、時にショック療法的に解きほぐしてくれるのは、振り返ってみるといつもホラー映画ではなかったか、という気がする。
ホラー映画はどこかしらにおいて死の感覚に接続していて、当たり前のことかもしれないがホラー映画ではよく人が死ぬ(※1)。人が死ぬところというのは実生活ではできれば見たくないもののはずだ。しかし、人が無残に壊れ、死んでいくところを画面越しに見ていると、どこか生まれた時からずっと無意識の奥底に刻み付けられているようなトラウマが静かに解けていく感覚があるのはなぜだろうか。もちろん、画面は正視しがたい。しかし、「人はいつか必ず死ぬ」という決して忘れることのできない事実のほうが、はるかに正視しがたいのではなかろうか。その事実を知っておびえる心は、決して、喜劇などによっては本質的に癒されることがない。
ホラーというジャンルに属するものでなくても、例えば『プライベート・ライアン』の冒頭シーン(※2)……あの酸鼻を極める地獄に、なぜか周期的に触れたくなって、僕はあそこだけ何度か繰り返し見ている。戦争映画に『地獄』を求めるようになってしまったのは、あの映画を見てからである。恐怖とはどこか不可逆なもので、かつ蟻地獄のように誘惑してくる不思議な魅力がある。
前置きが無駄にぐだぐだと長くなった(しかも何が言いたいのかよく分からない)が、好きなホラー映画を10本選んだ。ホラー映画の定義は、今のところよしたい。僕の手に負いかねる仕事である。とりあえず選んだ10本を、紹介というほど大したものではないが語っていこうと思う。
作品は以下の通り。順位などはない。
『ミスト(07)』
『恐怖(10)』
『オーディション(99)』
『CURE(97)』
『マウス・オブ・マッドネス(94)』
『地獄(60)』
『輪廻(05)』
『感染(04)』
『ジェイコブス・ラダー(90)』
『リング(98)』
『ミスト(07)』
『恐怖(10)』
『オーディション(99)』
『CURE(97)』
『マウス・オブ・マッドネス(94)』
『地獄(60)』
『輪廻(05)』
『感染(04)』
『ジェイコブス・ラダー(90)』
『リング(98)』
※1映画は、死を現象として描くことのできる稀有な表現だと思う。
※2あの場面が真に映画的なものと言えるのは、物語性から解放されているからではないかと思う。観客は右も左も分からないまま、ただ人が確率の問題によって肉塊と化す空間に投げ込まれる。
※2あの場面が真に映画的なものと言えるのは、物語性から解放されているからではないかと思う。観客は右も左も分からないまま、ただ人が確率の問題によって肉塊と化す空間に投げ込まれる。