その6
病院の日頃・そして退院
入院も2週間もすると、トイレに行く許可もで、食べ物も皆と変わらないものとなっていった。
1ヶ月もすると病院内の、どこを歩いても自由になり、他の患者の病室にも遊びに行くようになっていた。
交通事故に遭った小学校2年の子を、車椅子に乗せて、屋上まで連れて行ったりしたこともあった。
毎日毎日、車椅子に乗せて、気晴らしに何処かに、連れて行くのが入院中の日課になっていった。
その後、視神経に溜まった血を採る手術は、思わぬ方向に進んでいった。
とにかく母が手術には、大反対であった。
頭の手術で何か間違いがあった時、自分の名前も解からないように、なったら大変だと心配していた。
姉や弟、妹が結婚する時、自分の名前も言えない子が兄弟に居たら、姉や弟が困るとも言っていた。
そして僕に「子供の頭の中は、医者もあまり見たことないから、ここを切ったらどうなるか、やられたら大変」と何度も言っていた。
僕はベッドで横になっていながら、看護婦さんと母が手術の裏話をしていたのを聞いていた。
看護婦さんは
「大変難しい手術で、これからは医学もますます進歩するので、今、急いで手術しなくてもいいのではないか」と母に話していた。
医者は手術、手術とさかんに勧めていたので、この事を医者に知れると立場上、看護婦さんは大分まずい事になったのではなかろうか。
そんな看護婦さんの忠告もあり、手術は、やめようとの話になり、すぐ退院の措置がとられた。
ところで肝腎の本人、僕は手術はやった方が良いかな、位に思っていたが、まあどちらでも、の感じもあった。
父はどうしても、子供の目を治したいと、手術はやりたかったのだが、母の強い反対に今回は珍しく押し切られたようだ。
次の日、母が「今日これから退院させてください」と看護婦室に行ったが、突然退院は無理と言われて、結局退院したのは次の日かその次の日?あたりであった。
医者は僕の前でも、手術をしないのは「残念だ・残念だ」と何度も何度も言っていた。
僕は右目の視力が殆どないまま、学校へ…そして社会へ…これから生きていかねばならなかった。