ジュネーブ半径500Mな毎日 -133ページ目

朝のレマン湖

少し霧がかかっています。

photo:01




iPhoneからの投稿

今日こそ渡せるかな?


今日のレマン湖は薄曇
photo:01








今日はブリオッシュを焼いた。
隣の人への御礼。
焼く度にピンポンしてみるけどいつも不在。
今朝は偶然会えたので、
後でパンを焼いて持って行きます!
と言ってみたけど、
焼き上がったパンをまた持って行ったらまた不在
四度目も渡せないかな?
持ち主のいないパン
photo:02








ゆうがたも不在なら、また家で食べなきゃ。

日本の強力粉だから美味しいのだけれど・・・・・・。





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iPhoneからの投稿

「幼い子供を残して死ぬ」ことになったら

今から1年と少し前

夏休みの終わり頃に

友達のMayaが泣きそうになってこう言って来た





スイス・ジュネーブ半径500Mな毎日







「Sammyが事故でなくなったの。

Sammyと、両親が、車の事故でほぼ即死。

Sammyの7歳になるお姉さんだけは生き残ったって。

でも、そのお姉ちゃんは、病院で意識を回復してから

「おかあさんはどこ?おとうさんはどこ?どうして誰も私に会いに来ないの?」

って泣いて、もう三日もご飯を食べていないんだって」







スイス・ジュネーブ半径500Mな毎日-未設定





私はその二ヶ月前の5月に写したクラス写真を思い出した。

Sammyは満面の笑顔で笑っている

澄んだ日差しが彼の笑顔に反射していて

そこだけより眩しく見えるような

本当にとびきりの笑顔だった




でも夏休みの旅行先で、突然帰らぬ人になってしまった。




Sammyのお母さんも思い出す。

怪我をしておでこから血を流している男の子をなれた手つきで介抱していたことがある。

看護婦さんなのかと聞こうかと思った程だった。

大人しそうで真面目そうで、献身的なお母さんだった。




それでも、一瞬の事故で、突然帰らぬ人になってしまった。

長女が1人生き残った事は、嬉しくもあり、無念でたまらなくもあると思う。




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それから私たち親の間ではしばらくその事故のことで話をする事が多かった



Sammyの叔父家族が、アパートの片付けに来ているらしい

残された女の子は、親戚家族が引き取るらしい

学校を変わると、環境が一気に変わりすぎて大変だから、女の子はしばらく今の学校に通うらしい

学校の先生達は、新学期に子供達にどのように説明するのだろうか?

女の子の心のケアをしてくれる専門家はいるのか。

など

心配は尽きない







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そのような中で、1人のお母さんがこう言った


「私が子供を残して死ぬとしたら、子供も一緒に連れて行きたい。だって、私が死んだら、私の子供を面倒見てくれる人がいないから」


それは、たとえ親戚の家で育てられるにしても、その子は十分にケアを受ける事が出来ないという意味だった。


そして、何人かの親がうんうんと頷いて同意を示していた。






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実は同じ台詞を別の場所でも聞いた事がある


「幼い子供を残して死なないといけないのなら、子供も一緒に死んだ方が良い」


という言葉。







でも、私にはそれはとても悲しい言葉に聞こえる。

皆が子供を大切に思って

皆で育てていけたら

お互いにお互いの善意を信じられる世界だったら

いいのになぁと思う。

理想論かもしれないけど。





上の言葉を発した人、同意した人にはきっとそう思ういろいろな経験があったのだろうけれども、

子供は大人よりも長く生きないといけない

って皆が思える世の中がいいなぁと

つくづく思うのです。



ちょっと重い話でした。





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