というわけで心理言語学者と話して来ました(子供の教育) | ジュネーブ半径500Mな毎日

というわけで心理言語学者と話して来ました(子供の教育)




4歳と8歳という年齢で、日本からジュネーブにやってきた二人の娘達は、

4年の差があるので、それぞれ違った経過をたどって仏語を習得しています。

これは元英語教師としてはとても興味深い発達でした。

そして、今のところの私の持論としては、日本の英語教育はやはりそれほど間違ってはいないということです。

いずれにしても努力をしなければ仏語を習得出来ない、100パーセント日本人家族の私たちなので、

この3年は本当に良く頑張ったなと思います。

辞書も使わずにどうやって単語の意味を理解して、言語を習得出来るのか。

そう考えると、異国で暮らす子供達の教育環境はとても厳しい時期があると思います。



さて、仏語のレベルが上がっても、日本人としての態度や姿勢はなかなか変える事が出来ません。

発言を他人に譲るとか
発言する前に躊躇があるとか

そういう態度が、しかし、現地の学校では少しおかしいようで、

今年に入って3度も学校の先生から「心理言語学者と面接して欲しい」と言われてきました。



私は、その必要がないと思っていたので、先生と話しをするたびに説明して来た事は

1、アジア人の子供達が同等にやっていけるためには1年半以上はかかると思う。言語が近いイタリアやスペイン、ポルトガル、ドイツの子供達の伸び方と比べないで欲しい

2、漢字文化圏から来ている私たちには、アルファベット言語を習得するにはとても時間がかかる、
時制、統語、といった文法事項が違いすぎるので。だから、外国語として習得している場合は、書けない文章は発言出来ないと言っても過言ではない。仏語が聞ける、理解しているからと言って、同等の内容が発言出来るとは限らないことを理解して欲しい。

3、つまり、子供自身の性格と、文化背景が複雑に重なっている問題である。4歳でジュネーブに来た次女にとっては6歳までの教育はいわゆる「公園で話すフランス語」レベルだった。それが今年になって「学校で読み書きする仏語」へと変化しているので、次女に取っては大きなレベルアップだ。難しいと感じていても不思議ではないと思う。もう少し時間をかければ改善すると思う。同じようなケースを長女の経過を見て分かっているつもりだ。もう少し待つ事が出来る。


と説明してきましたが、学校の先生達は、

1、仏語は理解していて、上手に話すのに、自分の意見を言えないのはおかしい

の一点張りで、しかも

2、「(頭の中で)書けない言語は話せない」ということはあり得ない

と、私がネグレクトしている悪い親であるかのような視線とともに、いうのである。しかも二人組で。




良く言うよ、自分たちは中学・高校・大学と英語教育を受けたにもかかわらず、英語が話せず、それどころか話す事を拒絶して、外国語を一つも習得した事ないくせに。




と、心の中で毒づきながら、毎回悔しい思いをして学校を後にしていました。


しかし、ある日、ふと考えを変えました。

確かに、フランス語のおぼつかない保護者が学校に来てわーわー言っても、信用性がないかもしれない。
だったら、スイスの専門家と話して、彼らから学校に話してもらった方が説得力があるだろう。

というわけで、私は心理言語学者のオフィスに電話したのでした。





電話越しに心理学者の先生が

「英語とフランス語どちらが良いですか?」と聞いてくれる。

「フランス語よりは英語の方がまともです」と答えると、流暢な英語が帰って来た。

やはり良い教育を受けている人という印象を受ける。

現在の問題などを話し、一週間後に面接する約束をして電話を切った。

感触は良い感じだ。



一週間後、私はきちっとした服装で面接にいく事にした。見た目重視社会だし、私の話す事が相手の理解を超えているかもしれないから、少しでも印象を良くしたい。


心理言語学者の先生は、若くてきれいでラフな感じ。
話しているうちに彼女が足を組んで、背中を背もたれに付けたので、私も同じ態度を取る。同調の印として。


私は自分の娘が直面しているかもしれない問題について、学校教師に話した事と同じ事を話した。

すると、「頭の中で書けない文章は、話す事がとても難しい」のくだりで、やはり心理言語学者の先生はとても驚かれた。そして、「それはあなただけの傾向なのか、それともアジア人全体の傾向なのか」と聞かれたので、「アジア人全体の傾向かと思います。外国語として習得した言語は、なれるまではそういう過程を通ると思います」

先生がメモを取っていたので、「これは文化的背景と心理的問題を含んだ複雑な問題だと私は思っていますが、もちろん確信がある訳ではありません」と続けると、先生は

「あなたのおっしゃることが、おそらく、当たっていると思います。しかし、もう少し調査をしてみましょう。
文化的背景と心理的要因の問題、とても興味があります。私から学校の先生に連絡をしても良いですか?」

とおっしゃった。

この先生は私の見方になってくれるかもしれないと思ったら、ちょっとほっとした。


最後に先生はこう質問された

「あなたはこの問題を心配していますか?」

そう来たか。と思いつつ

「どのような状況にあっても、子供の事を心配しない親はいないと思います。」

と答えて、次の約束をとってオフィスを後にした。

エレベーターの中で「でも子供の事は信じていますって言えば良かったな」と思いながら、鏡で自分の顔を見たら、すごく疲れていて驚いたくらいだった(笑)。



現地校のお友達に話すと

「ねー、学校の先生達は本当に自分たちのしたくないだけなのよ。だから気にしちゃ駄目!

「「親に問題があるのでは?」」「「おばあちゃんに問題があるのでは?」」「「じゃあおじいちゃん?」」ってどこまでもさかのぼって絶対家族の誰かのせいにされるんだから!」

という答えが返って来た。




今まで、私ー学校 という直線関係が、この日から 私ー心理言語学者ー学校 という三角関係になった。ほんと、問題は多角形で解決した方が良い。
客観的な第三者を入れた事によって事態は好転するか。好転しそうな気がする。

という訳で、面倒くさがっていたけれども心理言語学者と会って来たのは良かったかもしれない。

でも、日本だったらきっと問題にもならないと思うんだけど。

「お子さんはまだ少し恥ずかしくて発言が得意ではないのですが、ゆっくり様子をみながら、段階を踏んで発言出来る機会を増やして行きますね!」

ぐらいで終わるような事なのに。せっかちな人が多いの?どれだけ事が大きくなるんだか。




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