物書きの机
ひょんなことから、元ジャーナリストのレス氏のお宅に家族でお邪魔する事になった。
本当はひょんな事ではなくて、犬散歩の途中で、レス氏の具合が悪くなり、それなの にイースターで病院はやっていないから、別の人が往診を頼むと言って、SOS Medecinに電話をかけた。レス氏はいつも夕食はレストランなのですが、体調が悪かったらきっと外出は出来ないだろうと思って、夕食を持って行こう か、と提案したところ、お願いします、ということだったので、イースターの夕食をレス氏の家に運ぶ事になったのだった。
レス氏は医師が往診に来るという事で自宅に戻る途中で「カレンも連れて来て、もし良かったら家族も」、と具合が悪くても紳士である事を忘れない。
そんな訳で、私たち家族4人と犬(カレン)はイースターの夕食時に、豚肉のフィレ・ミニョンのソテー・キノコクリームソース、野菜サラダ、蒸し野菜、焼きたてのフランスパンを持って、レス氏宅のインターホンを押したのでした。
「すぐに帰ります。おやすみの邪魔はしたくありません。」と準備した言葉を話す私たちを、レス氏は私たちを歓迎してくださり、家を全部案内してくださいま
した。レス氏は「君たちは夕食はすませた?まだすませていないの?持ってくれば良かったのに。ごめんね。」と言いながら、各部屋を見せてくれました。レス
氏の犬、アビーちゃんも、大きなシッポを振りながら、私たちに部屋を案内している。アビーは嫌いな人が家に入ると吠えるらしいから、私たちは合格なのか。
レス氏の仕事道具である机は、モンサレーブとレマン湖が正面に広がる窓に面している。湖も山も、空の青と境界を滲ませているような青いグラデーションの中に大きく広がっていて、とても気持ちが良さそうだ。
横に、古いパソコンが乗った小さなパソコンデスクがあって、あまりインターネットに頼った生活ではない事が伺える。
よかった、ってなぜか思う。私はデジタル中毒みたいな人間だけど、いつもアナログ的生活に引力を感じていて、出来ればアナログ生活にしたいと思っているくらいだから。アナログ生活で幸せを感じられる人が人生の勝ち組だと思ってる。
さて、廊下や壁にかかった子供、孫、友達の写真、歴代の犬の絵などを見せて頂く。レス氏のお子さんは水泳のオリンピック選手で、お孫さんもロンドン5輪で 泳ぐらしい。父親は弁護士で、マーク・トウェインが大好きで、ファンレターを送ったところ返事が来たけど、その手紙はなくしちゃったとか、面白い話がたく さん出てくる。私たちよりもっと適切な人に話して差し上げたら良いと思うんだけど。
レス氏の仕事机は、緩やかに傾斜しているライティングデスクで、今でも「手書き」にこだわっている事が良く分かる。それでも、机は下敷きがなければ文字が書けないのではないかと思う程、でこぼこしている。言葉を扱う職人の、一心同体となった道具だ。
青銅の亀の文鎮と、内側にレーザーで彫刻がしてあるガラスの文鎮が脇で書類を抑えている。亀は古ぼけているけれど、ガラスはまだ新しい。統一性のない身の回りの品々に、かえってレス氏の歴史とか、それを贈った家族のレス氏への思い入れが感じられる。
レス氏の電話がなった。「ああ、きっとニューヨークの息子からだ」レス氏はそういって、受話器を取る。やはり息子さんだったようで「ごめんね。今友達が来ているから。あとでまたかけ直して」と言っているのが聞こえた。
レス氏が電話を切ったところで、「そろそろ失礼します。料理は冷める前に召し上がってください。お大事に」と言って、レス氏のアパートを後にする事にし た。「どうしてそんなに悲しそうな顔をするんだい?」とレス氏が飼い犬のアビーに語りかけている。アビーも私たちが来てちょっとはしゃいでいたのだ。
「原稿は手書きですか?ワープロですか?」私が玄関で尋ねると「手書きだよ」とレス氏は言う。「万年筆ですか?」と再び聞きかけて、これは別の機会に尋ねようと思って止めた。肉筆原稿にこだわる人は、きっと筆記用具にも思い入れがあるだろうから。別の機会に話してもらおう。
手書き原稿にこだわる書き手は、真摯な文章を書くから好きだ。手書きで書く文章には嘘が入り込みにくいからだ。もちろんこれは個人的な思い込みだけど。レ ス氏のジャーナリストとしての基本的な態度は「正直である事」なので、手書き原稿にこだわる事も良く分かるような気がする。
アビーはそんなご主人の足元で、氏の仕事中はお散歩を待ちながらいつも何を感じているんだろう。
物書きと犬の、一人と一匹の生活。
ゆっくりゆったりした時間が流れているのだろう。とても濃い時間なんじゃないかと想像する。やはりアナログ生活への憧れは強いようだ。
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