アンネフランクハウス アムステルダム
アムステルダムで最初に出かけたのは、アンネフランクハウスでした。
冷たい風が吹くこの日、私たちは1時間半以上待ってやっと中に入る事が出来ました。
世界中からこの家を見に来る人がいるようです。
行列の先頭を右に曲がったところにアンネフランクハウスがあります。
運河沿いに建っていて、人目を避けられそうなところだけれども、父オットーは、3階と4階部分と一部屋根裏を隠れ家として改造して使っていました。
アンネフランクハウス、10年前は、「そのままの状態で残してある」という感じだったらしいのですが、
今日ではかなり展示が多くなっているそうです。
アンネ・フランクの隠れ家は、本にあるように、(想像していたよりも低い)本棚の扉の向こうにありました。
昼間はお手洗いも流せない生活
窓にぴっちりとかけられたカーテンは1センチも開けてはいけない
まだあどけない彼女がそんな生活を強いられていたと思うととてもかわいそうです。
と、同時に、オランダで当時ユダヤ人をかくまうというのは、とても大変だったのではないかと思います。
ヨーロッパに住んだ感想は、思ったよりも監視社会ということだからです。
当時は戦時中で、ドイツの侵攻もあり、現在よりももっと「互いの監視」が厳しかったのではないかと想像します。
配給制になった食料を隠れ家に暮らす人たちに分配するだけでも大変だっただろうと思います。
アンネフランクハウスの入り口です
内部は写真撮影不可です。
内部はオットーが事前に準備する時間があったためか、意外と広いという印象がありましたが、8人で暮らしたらやはり衝突も多かったでしょう。
屋根裏の、空に向かって開く小さな窓だけが、アンネ・フランクが「新鮮な空気を肺に送り込む事が出来る」窓でした。屋根裏への急なはしごも、音を出さないように最新の注意を払って登ったのでしょう。
日、1日と状況が悪化する中でも、希望を失わないで生き抜いた彼女は本当に素晴らしいと思います。
そしてあらゆる差別がなくなって欲しいと思います。
やがて、逮捕され、収容された先でチフスを罹患して亡くなったとされるアンネ・フランク。
あと2ヶ月頑張ってくれれば解放されたのに・・・・・・。
密告した人が黙っていてくれれば・・・・・・。
とても悔しい気持ちになります。
それにしても、この父オットーはものすごい行動力の人だと思います。
元々ドイツ・フランクフルトに在住していた一家は
ナチスドイツから逃れるために、オランダへ亡命し、アムステルダムで叔父の会社のオランダ支部を設立
アンネの個性を考慮して、モンテッソーリの学校へ入れる
アムステルダムにもう一つの会社を設立
ベルギー・フランスがドイツに降伏してからオットーは隠れ家の準備を始める
警察に見つからないように、家具や食料を入れる
アンネの姉に召集(収容所への)命令が下ると同時に、隠れ家に引っ越す事を決意
スイスに逃げる事をほのめかす手紙を残し、隠れ家生活を開始
その後、密告され、逮捕され、収容所へ送られる
終戦と同時に解放される
アンネの日記を、出版し、差別のない社会の再建を訴える
再婚し、スイス・バーゼルに暮らし、バーゼルで亡くなる
父オットーはもともとは古典ドイツ文化を愛する人だったと思います。アンネもゲーテなどを良く読んでいたそうです。
どのような思いで、変わって行くドイツを見ていたのでしょう。そして戦後のドイツをどのように思っていたのでしょう。
子供を守る、家族を守る、生き残る、
考えさせられます。

