「出来る事」と「しないこと」の間である日本
日本・外国人問わず、友人と話していると
皆さん口をそろえておっしゃいます。
「こんなに便利じゃなくても良いから、原子力発電所を減らして欲しい」
・全てのトイレのふたが自動で開かなくても良いから
・誰も使わないエスカレーターがずっと動いていなくてもいいから
・楽するだけの「動く歩道」もいらない
・日曜日のお店は休みで良い
・コンビニもこんなにはいらない
・ネオンサインも照明も明るくなくていい
エネルギーを節約するアイディアはどうやら沢山ありそうです。
産業革命が起こって、科学技術も発達してから
人間はその時の技術力で出来る事は全部してきたように思います。
大きな発見や、技術は、やがて戦争兵器に使われるようにもなります。
戦争兵器の為に開発するのがはばかられる場合には、
「宇宙開発事業費」として予算が充てられ、研究、開発がすすみ、
いつでも「軍事力」へ転換できるように準備しています。
時代が進めば、人の知力で「出来る事」はどんどんと増えて行くでしょう。
すでに人は、無人の機械で相手を攻撃できるようになっています。
でも、
「トイレのふたが自動で開かなくてもいい」
って言える人がいる日本。
「その技術は素晴らしいけれども、私たちの未来には必要ではない」
って言える人が、もっともっと増えたらいいなと思います。
一度銃を持った社会は、互いに銃を持たないと安心できません。
一つの国が核を持てば、皆、核を持たないと安心できません。
日本はまだ銃も持たない国だから、持たないと安心できない国ではないから、このまま持たないまま復興して行けたらよいのにと言うのは、甘すぎる考えでしょうか。
科学技術が進めば、「こんな事も出来る」 「あんな事も出来る」と、
出来る事を追いかけて実現させてきましたが、
原子力発電所が、フランケンシュタイン博士の怪物みたいに、暴れだしたら誰も止められないことが分かった今としては
「あんな素晴らしい事も出来る知識や技術力はあるけど、未来のために、敢えてしない」
っていう社会がくれば良いなと思います。そういう決断を出来る大人が増えたら良いなと思います。
多くの人たちがそう思い始めているのでしょうから、形になれば良いなと思います。
多分、医療の水準と 移動の安全が守られれば、他の事では少し我慢が出来るだろうと、ジュネーブ生活若干3年目の私は思うのでした。



